仏典童話


近くの西方寺の直美さんからお誘い頂き、
仏典童話作家渡辺愛子師のお話しをお聞きしました。
出版物などで存じていましたが、ご本人から直接お聞きし心に沁みました。


いつも読ませていただいています、勝福寺様の如是我聞より、
今日のお話しのところをお借りしました。有難うございます。


〈念仏に出会うまで〉
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〜生きる意欲をなくす〜
前後しますが、家が貧しかったので少しでも家の収入を助けたいと、小学校の時から働いていました。
高校も夜間の定時制に行きながら働いて家計を助けていましたが、奨学金だけは大学に行くために貯金をしていました。
英語がおもしろかったので将来は給料の高い貿易会社に就職しようと思っていました。
ところが緊急の事態ができて、大学に行くために蓄えていた貯金を全部使わねばならぬ事になってしまいました。
頭では、貯金があったおかげで他人に迷惑かけずにすんで良かったではないかと言い聞かせるのですが、一方では、もう自分は十分家族のために尽くしてきたから、この世から居なくなってもいいんでないかという思いがふくらんできました。
あの頃は睡眠薬が簡単に手に入りましたので、鞄の中に入れ「今日か、今日か」と暮らしていました。
そんなある日、友人が学校からの帰り道、私の手をつかまえて
「あなた、何か大事なことを隠しているでしょう。
それを言わなかったら帰さないわよ」と。
彼女はクリスチャンでしたが、
私の話を聞いて
歎異抄よ」
と言ってくれたんです。
そして今度の日曜日に家に遊びにいらっしゃいと誘ってくれました。


自死の危機から救い出されて〜
彼女の家に行ってビックリしました。
なんでこんな立派な豪邸に住みながら夜学に来ているのかわかりません。
よく聞くと、お父さんが亡くなりお兄さんが結婚してから、
お母さんと友人は家の邪魔者になってしまったというのです。
世の中には私とは全然違う種類の悩みがあることに驚きました。
お茶を頂いた後、散歩に出ました。
すっかり葉を落とした栗林の中を歩くとカサッ、カサッと実に気持ちのよい秋の音がするのです。
安らかな世界に浸りながら何もしゃべらずに歩いていたら、行く手に一枚、緑色の葉がおちていました。
「アッ」と思って掌に取ると、細長いグリーンの葉に虫が食ったのかポツンと黒い点がありました。
それを見たとたん、
「あー、私はこの葉っぱになるところだった」と思いました。


大谷大学へ〜
それで、もう一度考え直してみようと、孝道教団にいたとき
「ある時、お釈迦さまが…」で始まるお話を聞いて育てられてきましたので、
宗派に分かれる前のお釈迦さまの教えをしっかり学ばせてもらいたいと思いまし
た。そしてフット頭に浮かんだ川崎の夜学の先生だった橋本忠次先生を自宅にお訪ねいたしました。
先生は原始仏教も学べるし、百年に一人も出ないような先生がお二人もいられるからと、大谷大学を勧めて下さいました。
大学の入学式ではじめてお念仏の渦の中に身をおきました。
お念仏を称えている人々のお顔が好く見えて、仏教入門、真宗入門の授業に熱中しました。
また高倉会館での日曜講演に通い曽我先生、金子先生のお話などを聞かせていただき、この方々の歩みに間違いがない、私も同じ道を歩かせて頂こうと思うようになりました。


〜念仏あふれる家庭〜
それから「仏縁」とはこういう事かと思うようなことがありました。
私は橋本先生から多田鼎先生のご本を三冊、入学祝いに頂きました。
それで大学の図書館では多田先生の本をよく借りたのですが、
図書館のカウンターに立っていた方が、
「あなたはいつも多田先生の本を借りますね」
と言うので橋本先生のお話をしたら、その方のお父さんも一緒に多田先生について聞法していたということでした。
それが今の主人なのです。


その父が釜石から出てくると金子先生のお宅にお供しました。
先生と父とのやりとりは言葉でないやりとりなんです。
今でも不思議なんですが、寂かな空気が行き来する、
寂かなお念仏の声が行き来する、そんな風景でした。
・・・・・


夜はろうそくの灯りの下、インドサリーが素敵な、
渡辺愛子師の仏典童話の朗読がありました。
「一口の水」 
「シビ王物語」
   仏典童話Ⅰ

   仏典童話Ⅱ


震災で金沢へ疎開された福島出身の本倉晶子さんが想いを語られ、
小さな竪琴「ライアー」の演奏をしてくださいました。
菩提樹
「いにしえの時」
初めて聞く音色で、やさしく、静かに心に響きました。
                                 つづく