無量無数の因縁によって

上高地


岡本美穂子さんの話された鈴木大拙師の言葉が心に残っています。
   「美穂子さん、仏の手だぞ」  
   「あなたの手だといっても、あんたが作ったわけじゃないだろう。
   あんたの親がつくったわけでもないだろう」
   

   お釈迦様の教えというのは、
   無量無数といっていいほどの因縁が私を作っていると・・・
   因縁を「如来」とも「本願」ともいいます。


浅野川救助事件
あの時、あの場所を通ったのが、どうして泳げる私だったのでしょう。
通ったのが5分前でも、5分後でも助からなかったかもしれません。
どうしてあの時だったのでしょう。
いくら考えても不思議でなりませんでした。
私が助けたのではない。
仏様の大きな計らいの中にいた、と思わずにはいられませんでした。


小川一乗先生は、善いことをした時も、    
「無量無数の因縁によってそれをおこなっている」とおっしゃっていますが、
この日の出来事を言い当てるのにこれ以上の言葉はありません。


・・・・・
小川 そうですね。例えば、「自分が何をするか」という、
   「自分で決断した」と、人は言うけれども、
   さあ、ほんとに自分で決断したんでしょうか。
   「周りのいろんな条件がそういう決断をさせたのであって、
   自分がしたわけじゃない」ですね。
   そのところを、「人間は自我が強い」ですから、善いことをした時は、
   「私がした」と言いますね。
金光 そうですね。
小川  「悪いことが起これば、社会が悪い」と、責任転嫁しますね。
   しかし、「善いことも、悪いことも」考えてみれば、
   「周りのいろんな因縁の中でそれを行っている」
   ということなんで、そこのところを、お釈迦様は、
   「無量無数といっていいほどの因縁が」、
   もう少し理屈っぽくいうと、
   「条件が」この私を形成しているということをお説きになられたんだけれども、
   それを聞いた大乗仏教の菩薩たちは、その「因縁を如来」と言い換えて、
   「無量無数の如来様が、仏たちがこの私たちをお作り下さっておる」と。
   そういうふうに、深いところで、
   その釈尊の教えを了解していったということがあるわけですね。
・・・・・


私の身に起こったもう一つの出来事、
「無量無数といっていいほどの因縁で」郁代が助からなかったことは、
すぐには受け入れられませんでした。
浅野川救助のあったその年、
年末に帰国した時、郁代は体の異常を訴え受診したのでした。
以来どのような手立ても甲斐なく、
子供が救助された2年後の夏に郁代は逝ってしまいました。


「私は子供を助けたのに、
どうして娘を助けてくださらなかったのですか?」
心の中で叫びました。


小川一乗先生は「人間は自我が強い」ですから、
善いことをした時は「私がした」と言い、悪いことが起これば「社会が悪い」と責任転嫁します、とおっしゃいますが、
まさにわたしのことでした。


助からなかったいのちも、
無量無数の因縁によって・・・と、わかっていても
そう叫ばずにはいられませんでした。


よくよく『自我の強い私』と知らされました。