すべてのことは、神様の贈り物

浅野川 同じことして なにしてる?


第1450号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと (2013年7月26日)より転載させていただきます。


昨日は危機一髪でああよかったと思うことがありました。
小林さんが、旅の仲間にパ スポートだけは忘れないでくださいね。
何もしてあげられないからとおっしゃっておられて、
私は、パスポートをケースにいれてあるのだけど、それをちゃんと鞄にもう
入れたからと思っていたのです。
でも、夢をみました。
成田空港で、パスポートケースがからっぽだったことに気がつく夢。
それで、もしかしたらと思って心配になって、みたらちゃんと入っていたのです。ああよかったといったんしまったのだけど、
なぜだか、スタンプを見たくなって中を開けたら、
それは、ももこのパスポートで私のではありませんでした。
あわてて、私のをさがしたら机の中にありました。
えー ん、えーん、よかったよ。
もし、もし、スタンプを見ようとしなかったら、
もし、夢を見なかったらと思うと怖いです。ああよかった。


ところで、私は本当に本当に力がなくて、
たとえば、加湿器に水を入れるところがあって、毎日、そこに水を加えるのですが、私以外の方が、水を入れてくださると、 私はその蓋が、なかなか開けられません。満身の力を入れて、ようやっと開くという感じです。
この力のなさは、本当に不便です。
小さいときは、鉄棒にさがることや、
上り棒を上るようなことも、もちろんできませんでした。
あるときは、ちょっといじめっこのむねちゃんが、
上り棒の一番上に、私のランドセルをひっかけて、やーいやーいなんて言って、私は下で上をみあげて、しくしく泣いていたなんてこともありましたっけ。


大きくなっても、そんなことは変わらなくて、何年か前に、モロッコサハラ砂漠でらくだに乗ったときに、そのときは妹も一緒でしたが、
揺れるらくだの背で、しっかりつかまっているということができなくて、
本当は可愛いらくだにからだをしっかりつけておきたかったけど、
あまりに落ちそうで、妹も後ろから見ていて、
「これは落ちるな」とハラハラしたそうで、帰りは一人歩いて(いえ、小林さんも一緒に歩いてくださいました)帰ってきたのでした。
でも、サハラ砂漠の動物にも会えて、それはそれで楽しかったのですが…。
旅のような特別なときだけでなくて、日常が、万事、
できないことだらけの私が、チーム宮ぷーのみんなから、


「かっこちゃん、力がないこと、力が入れられないことは、最大の贈り物だよ」


と言っていただくのです。
ああ、そんな日が来るなんて。
そして、自分がだめだと思う弱点のようなことも、
本当は、大切なそれこそ、神様の贈り物なんだと、思えるようになりました。


白雪姫プロジェクト夢の雫の西嶋さんが、腰を痛められたそうです。
どうぞ無理を されないで、元気になられてくださいね。
・・・・・・
「肝腎要とぎっくり腰」
ぎっくり腰になった。
扇子ではつなぎ止めている金具のところを、要
という。これが外れるとバラバラに崩れる。
そんなところを要という。
腰は身体の要である。にくづきに要と書くなどなるほどと思う。
昨日リハビリをするときに、なんかおかしいと感じていた。
かっこちゃんたちに、寝ているときの身体の移動方法や、
身体を端座位に立てるときの方法などの「コツ」を教えてもらったのに、
いつのまにか「力」まかせになってしまっていたのかもしれない。


かっこちゃんのように根本的に握力が8kgという、
驚異的に力がない場合は、本物「コツ」を体得しるし「コツ」を駆使しなくては、宮ぷーの身体はピクリともしないだろう。
しかし、にわか仕込みの僕のようなのは「コツ」より「力」のほうが、
簡 単だったりするのだろう。
昨日、妻のリハビリをしているときに、ちょっと違和感があった。
でも大丈夫だろうと、中腰を多用してしまったようだ。
長距離の車の運転や毎日のほんの少しづつの負荷の連続が、こういう状態を招くのだ。腰をここまでダメにしたのは、昨年以来だ。
ちょっと、過信していたようだ。
こうならないと、そのことに気がつかない。


昨夜から僕は立ち上がるのが大変だ。
靴下ははけない。暑いからいらないけど。
たいして働いてもいないのにな。まったくがっかりである。
それにしても、かっこちゃんの“力無し”と“体力”の反比例には驚きである。


毎日、朝はみなさんご存知のメー ル配信、そこから仕事へ行き、仕事終わりで宮ぷーのところに行って、
ハードリハビリをリードして、20時に病院を出てから夕飯である。
そこから、きっと翌日のメールの準備やら、気分によっては曼荼羅を書いたり、本のカバーを作ったりしている。
ここのところは、アフリカへ思いを馳せているのだろう。
それで土日は各地で講演である。


最初に講演を見に行った時に、身体は大丈夫だろうか?と心配した。
あのスケジュールはどう考えても大変だと本当に心配になった。
ところが思いはすでにアフリカである。
きっと動物の食物連鎖のことや、
生命の不思議に思いは広がっていることだろう。
あの尽きぬ興味の塊が、生命を信じる力となり、その力は決してあきらめない粘
り腰となる。
超人とはこういう人のことをいうのだろう。


握力8kgこそがかっこちゃんの「コツ」の要だ。弱みも強みとなる。
熱をだしたり、腰を痛めたり、まったく軟弱だと、母から叱られた(笑)文句を言えるように元気になったことは、めでたいことである。(笑)
今日は腰で体重を支えながら、身体を丸くして、寝ていることにしよう。
妻は何故来ない?と待っているだろう。
しかし、無理しても長引くだけであることもすでに経験済みだ。
僕は超人にはむいていないようだ。人間はあきらめも肝腎のようだ。
・・・・・・


本当に大事にしてくださいね。
講演会でも、ちょっとだけ、介護法をみていただいています。
ときには、してみたいという方にもしていただくことがあります。
不思議だけど、力を入れないと、してもらう人も楽で、
力を入れちゃうと、してもらう人はちょっとつらいのだということも、
移乗してもらう側をしてくださった方が教えてくださいました。
本当はどんなふうな仕組みなのでしょう。不思議ですね。

かつこ