「二度、生まれる」(1)

竹下哲先生

こころの時代〜「仏の声を聞く」〜(平成2年)で東井義雄先生が、
「『ほんとうの人間になること』という書物をお出しになりました」と、
竹下哲先生を紹介なさっています。
こころの時代〜「 二度、生まれる」〜では、
今度は竹下哲先生が東井義雄先生を紹介されています。(最終回)
二人の先生のお話を直接お聞きしたこともあり、とても親しみを感じていますので、
六回に分けて番組の内容を味わってみたいと思います。(一部省略しました)

      こころの時代〜「二度、生まれる」
                長崎県社会教育長  竹 下  哲
                ききて          金 光  寿 郎
〈第一回〉
金光:  お生まれになったご家庭は、どういうご家庭だったんでございましょうか?

竹下:  私の家は四人兄弟でございまして、私が長男でございます。
父は国鉄に勤めておりまして、駅長なども致しておりました。
そういうことで、大変質素な堅実な家庭でございました。
父も母も念仏者でございまして、そのために家庭には宗教的な雰囲気が漂っていた、と思います。それが大変有り難いことだ、と今にして思うのです。

竹下:  中学校三年生の時に、母が、「今日は偉い方がおいでになって、仏教の講演会があるから、お前、学校の帰りに聞きに行きなさい」というのです。
それで、私、カバンを小脇に抱えて、半ば義理で講演を聞きに行ったのです。
その時の講師が山本晋道という先生でいらっしゃいまして、大変頭の切れ味の鋭い、情熱的なお話をなさいました。
今思えば『歎異抄』の第二章のご講義だったのです。
私は、内容は十分には勿論理解できませんでしたけれども、先生のお人柄、ひたむきなそのお姿、そしてご承知の通り、『歎異抄』第二章は、

「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。」

で始まりますね。
「身命をかえりみずして」―命懸けで、というところに強く打たれまして、その一言が少年の私の心を貫いた、とこういってもいいかと思います。
その時何か人生の方向が定まったという、そういう実感が致しました。

金光:  山本晋道という方はどういう方だったんでございますか?

竹下:  この方は、在家の方で、東大の英文学科をご卒業になりまして、旧制中学校の英語の先生だったんです。
頭のいい、情熱的な、また正義感の強い先生でした。
しかし、人生は正義感が強いとか、情熱だというようなことでスムーズにいくわけじゃありませんで、いろいろなことで行き詰まられたんですね。

その時に、川を隔てて、お寺から鐘が鳴り響いてまいりまして、その鐘の音を聞いて、
「あ、お寺があるな。そこで自分の悩みを解決してくれるかも知れない」
ということで、お寺に行かれたんです。
そこの老僧にお会いされて、諄々とお話を聞かれて、その時に心が開けまして、そして、
「そうだ。この道一筋に行こう」ということで、中学校の先生を辞めて、そしてお坊さんになって、山本晋道と名乗られたんです。

中学校の先生をお辞めになったものですから、たちまちに家計が困難になります。
一家路頭に迷うということになりました。
先生はそれで野菜を担いで、野菜の行商をされたんです。
それほど徹底した方でしたね。
やがて梅原真隆先生に師事されて、そこで勉強されまして、
そして福岡とか長崎とか、或いは熊本なんかに聞法道場をお作りになりまして、
そこでお説教をなさっておりました。
私はたまたま福岡で生活を致しておりまして、福岡で始めて先生のお話を聞いた、というふうなことでございます。

金光:今度は大学はどちらへお行きになったんでしょうか?

竹下:広島の高等師範学校に学びまして―今の広島大学教育学部でございますが、
そこでまたいろいろと先生方のお教えを頂きました。

竹下:  広島はご承知の通り安芸門徒の本拠地でございまして、
念仏の声が町中に響き渡っているというふうな町でございました。
そこで金子大栄、藤秀すい、白井成允がおられました。

金光:  いずれも非常に有名な学徳兼備な方でございますが、その金子先生の講義は学校でお受けになったんでございますか?

竹下:  いいえ、そうではありません。私は国文学の専攻なものですから、直接に先生の正式の講義に座ってお話を承ったということではなくて、
随時仏教の講演をなさっておられまして、
そのご講演を拝聴した、ということでございます。

金光:  藤秀すい先生は講師をなさっていたそうですが、藤先生とはどういうご関係であるんですか?

竹下:  藤先生のお話も、学校でも随時伺いましたけれども、
特に先生のお宅に何度もお伺いして、いろいろと懇切に教えて頂きました。
今思うと、ほんとに若造の私に懇切に教えで下さいまして有り難かったなあ、と思うのです。

金光:  白井先生とはどういうご関係であったんでございましょう?

竹下:  白井先生も仏教の講演をあちらこちらでなさっておられまして、まだお若い先生でした。
特に『歎異抄』の講義をなさっておられまして、そのご講義を胸を躍らせて伺ったものであります。
思えば、いろいろの先生方のご縁に出会わせて頂いた、という思いがしきりにするんです。

金光:  そういうご経験の後で、いわば決定的な影響をお受けになったのは、弟さんのご病気のことだ、と伺っておりますが、
それはどういうことだったんでございますか?
       〜平成四年三月八日、NHK教育テレビ「こころの時代」より〜