「 二度、生まれる」(2)

「ピ〜ヒョロロ〜」
浅野川の散歩道では、いつも頭上にトビが舞っています。

こころの時代〜竹下哲 「 二度、生まれる」〜より

            長崎県社会教育長  竹 下  哲
             ききて          金 光  寿 郎

〈第二回〉
竹下:  弟は昭寿(あきひさ)と言っておりまして、私どもは「昭ちゃん、昭ちゃん」と言っておりました。
昭和三十四年に体の調子が悪くなりまして、食欲がありません。
それで、「昭ちゃん、どうしたんだ」と言いますと、「どうも食欲がないんだ。力がないんだ」とこういうのです。
それで長崎に是真会病院という病院がありまして、そこの院長先生が高原憲先生で、念仏者でいらっしゃいました。その先生に診て頂きました。
胃を切り開いてみましたら、驚くことに、ガンは胃の全体を冒して、もう手遅れだ、というのです。
後は死を待つばかりなんですね。
家に連れて帰りまして、家で療養することになりました。
刻々痩せ細っていきます。

忘れもしませんが、昭和三十四年三月二十五日に、先生がお出でになりまして、ガンの宣告です。それこそ死の宣告をなさいました。
「昭寿さん、あなたの病気は胃ガンなんだ。手遅れなんだ。どうかお念仏を申してくれ」
とこういうお話でありました。

金光:  しかし、言われた昭寿さんはまだ三十歳の若さでしたね。

竹下:  ええ。三十歳でした。
弟は静かに先生のお話を聞いておりまして、先生のお話がすんだ時に、
「先生、有り難うございました」と。
しみじみとお念仏を申すようになりました。

そして、四月十七日に亡くなるんですけども、それまでの生活の見事なことですね。
輝くばかりの生活を致しました。
そして、四月十七日にだんだん呼吸が切迫してきます。
母が弟の手を握りまして、
「昭ちゃん、このまんまよ、このまんまよ。
もうすぐ楽にさせて頂けるのよね。・・・ナンマンダブツ」
とお念仏を申しますと、弟は目にいっぱい涙をたたえて母の顔を見つめておりました。
やがて呼吸が衰えてきます。
そして手を合わせて、かすかに呟くように、
「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」
とお念仏を申して亡くなりました。見事な往生でした。

その弟が死の宣告を受けたその日から、
「兄ちゃん、僕たちは『歎異抄』を今まで勉強して良かった。
今から毎朝兄ちゃんが出勤する前、僕の枕元で『歎異抄』を読んで頂戴」
というのです。
私は毎朝弟の枕元で『歎異抄』を広げて読みました。

悲しくてですね、名残惜しくてですね、
三十歳の弟ともう別れるのかと思うと、涙が溢れてなかなか先に進みませんでしたけども、
梅原真隆先生の現代語訳を読みまして、弟はとても喜びまして、頷いて聞いてくれました。

金光:  その場合、弟さんは、いわば『歎異抄』の世界というのは、お浄土の世界ということだと思いますが、
今日のテーマの「二度、生まれる」という、その実感というものをもう味わっていらっしゃったんでございましょうか。

竹下:  ええ。そういうお浄土に目覚めて生きていったんだと思います。
ですから、胃ガンですから、体の苦痛は酷いです。
ですけど、心は安らいで、実にほんとに輝くような日々を送っておりました。
弟ながら見事だ、と私は思いました。

金光:  人間というものは、一度はどうしても死ぬという、そういう性質をもって生まれてきているわけでございますが、やっぱりその中でほんとに人間らしい生き方ができるようになるのには、ただ生まれて食べて亡くなるだけじゃ、ほんとの人間にはなれないということでございましょうか。

竹下:  そうですね。人間以外の動物は、犬でも猫でも牛でも馬でも一回生まれただけで、間違いなく犬であり猫であり牛であり馬であるのです。
ただ不思議にも人間だけは、
一回生まれただけでは本当の人間にならない、と思うのです。
二回目の誕生が必要だと思うのです。

その二回目の誕生というのは、私に言わせれば、
「仏法にご縁があって、お念仏を申す身にならせて頂くことだ」
とこう思います。
第一回の誕生はいうまでもなく、お母さんのお腹からオギャと生まれることです。
それは生物学的には人間でしょうけども、まだ本当の人間になっていないんだ、と思うのです。第二回目の誕生が必要ですね。
           〜平成四年三月八日、NHK教育テレビ「こころの時代」より〜

「 二度、生まれる」(1)