「たいへんなことがわかった」

山元加津子さん&ドキュメンタリー映画上映会、ロサンゼルス(2012年8月2日)


白雪姫プロジェクトのHPに、
かっこちゃんの「アメリカ公演の原稿」が載っています。

「きいちゃん」の話 
「雪絵ちゃん」の話 
「かおりちゃんの」話は、
このブログでも紹介しました。

今回は講演原稿の「意思伝達のこと」より、抜粋して転載させて頂きます。
無脳症のお子さんとの交流で、看護師さんが言われた
「たいへんなことがわかった」
かっこちゃんから何度も聞きましたが、いつも感動します。
かっこちゃんが宮ぷーを支えてきた原点が、ここにあるのかなと思うのです。

「意思伝達のこと」より
・・・・・
宮田さんは、私が以前勤めていた学校の同僚で、子供たちから宮ぷーという愛称でとても人気のある方でした。
その宮ぷーが映画にもありましたように、3年半前の2月20日に脳幹出血という病気で倒れました。

私はそのときは知らなかったのですが、脳幹出血という病気は、脳出血の中でも一番怖い病気だそうです。
脳幹というところは、息をしたり、心臓や内臓を動かすなど、まさに生きる部分をつかさどる病気で、統計的には、発症した方の9割が亡くなり、残った一割のまた、八割か9割の方が意識がもどらないままというような統計があるのだそうです。

宮ぷーも倒れたときは、瞳孔がひらきっぱなしで、舌が口から出て、息もしていなくて、人工呼吸器をつけていました。
内臓もどこも動いてなくて、ウンチやおしっこが出だしたのは半月以上たったころで、最初は下血と吐血が続いていました。

あと3時間の命だということでした。
そのあとは3日の命ということでした。
お医者さまからも、
「もし助かっても、一生植物状態で、体のどこも動かない四肢麻痺になります」
というお話がありました。

私がそのときに、まず思ったのは、宮ぷーは意識がないと言われていても、
しっかりと聞いているし、わかっているんだということでした。
私が今まで出会った子どもたちが教えてくれたのは、
どんなに重い障害があるお子さんも、たとえ、植物状態だと言われていたとしても、誰もが、聞こえていて、わかっているんだということだったのです。

たとえば、私の出会ったお子さんの中には無脳症と言われているお子さんがおられました。
脳がまったくない方は生きていくことができないので、
おそらくは、脳幹や延髄とかはあるけれど、大脳新皮質の部分が生まれつきないお子さんだったのだと思います。
お医者さんである園長先生は、
この子は見えないし、聞こえないし、わかりませんよと言われました。

それでも、園長先生は「この子は教育の外にある子どもさんだけど、でも、一緒に時間をすごしてみてね」と言ってくださったのです。

私になにができるかわからなかったです。
けれども、ベッドのそばに行き、手をさわり、話しかけると可愛くて、思わず身体を起こして、大好き大好きと言って揺らしたり、一緒に歌を歌ったりもしました。
その頃、私は身体を起こすことがどれだけ大切なことなのかということを少しも知らないときだったのですが、でも、無意識にしたことですが、
それが、とてもよかったのだということがあとでわかりました。

その頃は病気の人は安静が大切。
横にしておくことが大切と思われていたのです。

けれど、私たちの身体の仕組みは本当に不思議ですね。
横になれば安静のスイッチがONになるけれど、健康な人も内臓もそれから意識などもいろいろな機能が失われていく。
ところが縦に起こすと、損傷を受けた部分は、回復のスイッチがONになって、回復をしようとするのです。
健康な方が、寝かせっぱなしになることで、障害をもってしまうことを廃用症候群と言います。

無脳症と言われていたお子さんを抱き起こして揺らして可愛くてたまらなくて、大好き大好きと言っていたある日、看護師さんが、私に

「たいへんなことがわかった」

と教えてくださいました。
なんだろうと思ったら、そのお子さんは、
ほとんど自分で動くことができないお子さんばかりの部屋にいたのですが、
そのお子さんが、
このごろ手足をばたばた動かすことがあることに気がついたのだそうです。
そしてそのあと、必ず私が現れるということにも気がつかれたそうです。

「この子はかつこさんの足音を聞き分けている。
まさかと思ったけれど、毎日そうだから、絶対に間違いないと思う。
この子はあなたを待っている。あなたが来るのを喜んでいる」
と言ってくださったのです。

聞こえないはず、見えないはず、わからないはずのそのお子さんが、
私が毎日来るのを知り、
私が来るのを待ち遠しく思って、来たら喜んで手足を動かしてくれている…
それを聞いたときに、私は声をあげて泣きました。
ずっと静かにすごしていて、何も聞こえないと思われていて、
話しかけられることもほとんどなかったそのお子さんが、
実は深い思いをもっていたということがわかったからです。
そして、私は、そのお子さんにとって、特別な存在と思ってくれたのだと思ったからです。

やがて、もっといろいろなことがわかってきました。
私は手遊びをよくしました。
手遊びの歌を歌ったのですが、一番敏感と思われた顔をつかって歌を歌いました。
一本橋こちょこちょ、二本橋こちょこちょ。
階段上って、こちょこちょこちょ。
くすぐると、そのお子さんが笑いました。
うれしくて、お医者さんにお話すると、反射で笑うことはあるだろうとのことでした。

けれど、その次の日に、
一本橋こちょこちょ、二本橋こちょこちょ。階段上って…」
そこで歌をやめてみたら、そのお子さんはしばらく静かでしたが、
待ちきれないように、私がくすぐる前にうわーっと笑ってくれたのです。
目の前のお子さんは、次を予測して、それが楽しくて笑ってくれたのだと思いました。

それだけでなく、「可愛い」と思わず言ったり「大好き」というたびに、
とてもうれしい顔をしてくれたし、他のみんなが遠足に出かけた日に、
「病室が静かですね」と言ったとき、
看護師さんが「みんな遠足に出かけて楽しんでいるだろうね」とおっしゃったときに、
すごくさびしそうな悲しそうな顔をしたのです。

ずっとこの部屋から生まれてから出たことのないお子さんが、
遠足というものを知っているというのも驚きでした。

私は他のお子さんともすごしながら、子どもたちは実は生まれながらに、
私たちが使っている言葉をみんなわかっているのだと思いました。
見たことのないはずの花や動物のことも知っている、
宇宙とつながるようにして知っているんだとそんな不思議なことを思いました。
そして、どのお子さんも身体を起こして揺らしたり歯磨きをしたり、話しかけることで、みんな多かれ少なかれ、回復をしてくれていました。

私は園長先生が間違っておられたというふうに思っているわけではないのです。
長く植物状態にいる方は、回復しないし、思いはもっていないのだというのが、
これまでの大きな常識だったのです。

でも、その常識は方法を行うことで変わっていくのだと感じていました。
宮ぷーが倒れたときに、思ったのは、どんなに重い障害を持っていてもみんな思いをもっていて、わかっているということでした。
だから、宮ぷーは一生植物状態ですと先生がおっしゃったときに、宮ぷーがそれを聞いてどんなに不安だろうということでした。

そして、そのとき、なぜかわき上がるように「だいじょうぶ」と思えたので、
先生に、「だいじょうぶです」と言いました。
先生は私のことを心配してくださって「僕の言っていることがわかる?」と言われました。

先生はたくさんの症例を観てこられて、そして、宮ぷーのような状態の方がどんなふうな経過をたどっていくかということをよくご存じで、
そして、私たちに宮ぷーの様子を伝える義務がおありだったのです。
だから、先生は「植物状態で、一生四肢麻痺です」と言われました。
私は「だいじょうぶだから安心してください」と言いました。

そんな重篤な中、病院のスタッフのみなさんが決してあきらめずに命をつないでくださいました。
それから、多くの方の応援、そして、宮ぷーの生きる力によって、
命の危機を脱することができました。
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