『教行信証』を書くことが煩悩のあかし
「この親鸞はなぜものに憑かれたように歳月をかけて『教行信証』を書きつづけているのか。そうたずねたいのだろう。ちがうか」
「どんなに愚痴にかえろうとしても、
身についた知識の垢を洗いおとすことはできぬ」
「いかに愚にかえろうとしても、それができぬおのれの業(ごう)を確認するために、
そのためにわたしはこれを書きつづけている」
「唯円どの、この仕事こそがわたしの煩悩のあかしではないだろうか」
(全国40紙で連載中)
これまでのあらすじ
「親鸞は悩みの天才なんですね」