『教行信証』を書くことが煩悩のあかし

親鸞 完結編  五木寛之
   第85回   美しい五月の朝に(8)

「この親鸞はなぜものに憑かれたように歳月をかけて『教行信証』を書きつづけているのか。そうたずねたいのだろう。ちがうか」
「どんなに愚痴にかえろうとしても、
身についた知識の垢を洗いおとすことはできぬ」


「いかに愚にかえろうとしても、それができぬおのれの業(ごう)を確認するために、
そのためにわたしはこれを書きつづけている」
唯円どの、この仕事こそがわたしの煩悩のあかしではないだろうか」

                                       (全国40紙で連載中)

これから、親鸞唯円の対話が始まるのですね。
楽しみです。

これまでのあらすじ
「親鸞は悩みの天才なんですね」

「ただ念仏だけでよい」