れのあちゃんとまーくんの会話


「誰にもわからない人生を歩んでいるときに、
自分が自分を見捨ててしまったらもうおしまいなので、
自分だけは自分を認めたいと思った・・・」
が、心に残りました。


かっこちゃんのメルマガ第1530号
宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと(2013年10月13日)より、引用させていただきます。


本当にうれしいことがいっぱいです。
昨日に引き続いて、しげちゃんととよちゃんが
起こしてくださった岐阜羽島のときの、れのあちゃんとまーくんの言葉です。

・・・・・
れのあちゃん
私は、今言われて、確かに私は恐いということは感じなかったけれど、わかってという気持ちは強かったので、それをあまり言わなかったなと反省していたところでしたが、なぜ言わなかったかというと、
私たちはどこかで、言ったら負けだと思っていたので、言わなかったけれど、
もちろん恐くて恐くて仕方がないという感じではなかったけれど、
悔しくて、悔しくて仕方なかったのは事実です。

なぜ私たちが全部わかっているのに、それをみな分かってくれないのかと思うと、
悔しくて胸が張り裂けそうなこともあったけれど、
今でもそれを言ったら負けだという思いもすごくあって、
私たちはそれを言わないことで、誇り高い自分を保っているので、
今言ってしまったのは、先輩が言ってくれたから、私も先輩の前でうそをついてはいけないと思ったからですが、やはりこのことは言いたくないことです。

なぜなら私たちは誇り高くいたいので、あなたがたが分からなくても、私たちはそんなこと気にしてもいないという態度をとりたいからですが、
今日の人たちはわかってくれるので、
ここだけの話ですが、そういう思いはいつもありました。
でも私たちは、なぜかよりよい人生を選びたいという気持ちだけはしっかりしているので、できる限り人に対する言葉に対しては、いい言葉だけを言おうとしています。
そのことについて、先生はとても興味津々だというのがよくわかりました。
さっき通訳の声が変わるというのが分かりましたが、先生がとても集中してきたのがわかりましたが、たぶん先生は答えをきっと知っているのでしょうが、
私が言いたいのは、私たちはこうしてきちんと生きることしか、
自分をきちんと保つ術がないからです。

誰にもわからない人生を歩んでいるときに、
自分が自分を見捨ててしまったらもうおしまいなので、
自分だけは自分を認めたいと思ったときに、自分をとてもいい人間だと認めないと、やっていけないから、
私は自分をとてもいい人間にしたいので、
人のことは悪く言いたくないし、
あらゆることをきちんと受け止めて行きたいと思っているので、
少し無理をしているかもしれないけれど、
きれいな気持ちで生きていくことに真剣になっています。
そのへんは誰も言ってないことかと思っていたけれど、
先生の声を聞いていると、先輩の誰かが言ったということのようですが、本当ですか。


柴田先生
あ、それはいろんな人から聞きました。
なんで自分たちがきれいな気持ちで生きていかなくてはいけないかというのは、自分しか自分を認める人はいないので、自分が自分を保つことが重要だったと・・・。


れのあちゃん
そうですね。先生の声は初めて聞いたことだと驚くみたいだけど、
誰かに聞いたことだと静かにどんどんぐっと深くなっていくので、
今の話は誰かから聞いたのだということがわかりましたが、
私たちの仲間が同じことを考えているというのは、とてもうれしいです。
私はここまで会話はしたことがないので、まさかそんなことを仲間が考えているとは考えなかったけれど、
私たちがいつも澄んだ目をしていられるのは、
自分だけは自分を信じて生きていきたいという思いがあったからです。

そういう思いの深さをきちんと言える日がくるとは思わなかったので、
今日こんなことが言えることが不思議でしかたないですが、
先生の魔法にかかってしまったので、言ってしまいましたが、
あとひとつ言うと、私たちは、じつはもっともっとやりたいことがたくさんあるけれど、やりたいことがやれないということは、
やはり自分に負けることになるので、
私たちはやりたいことをやらないでも、
私たちは生きていけるということを、きちんと伝えたいと思っているので、
あまり高望みはしないようにしています。

例えば、ディズニーランドに行きたいということがあったとしても、ディズニーランドに行かなくても人生は生きていけるとか、そういうふうに何かが叶わなくても、きちんと生きていけるということを、しっかりと自分で考えてきましたが、そんなことまで言えるとは思わなかったのと、
誰かがそのことを言っているのかと思うと少し悔しいですが、
私が初めて言ってることではないようなので、少し悔しいですが、
先生の声を聞いていると、やっぱり誰か言ったみたいな気がするのですが、
私たちは、やはり同じ環境にいて、こういう思いをするものだなということがよくわかりましたが、よくよく考えると、
やはり私たちは素晴らしい人生を生きたいというところが共通なので、
素晴らしい人生というのは、やはり人間として一番清らかな心を持つということなので、そこに向かって生きていこうとする気持ちが、
人間のなかで一番強い存在なのかもしれないと思います。

これも誰かが言ったのかもしれないと思うと悔しいけれど、私がずっと考え続けてきたのは、どうしても私は清らかな心で生きていきたいということでしたので、いまでもそのことを最大の大切なことだと思っています。
私の話が難しくなったので、先生も困っているようですが、(笑)あまりにも正確に言葉が訳されるので、私が驚いていますが、
先生の言葉を聞いていると、私もついつい言わなくてもいいことまで言ってしまうというか、それは内緒にしておこうと思ったことまで言ってしまいますが、
あとひとつどうしても、お母さんやおばあちゃんに伝えたいことがあります。

それは障害があるということについて、私は一度も不幸だと思ったことはないけれど、できるならば障害がない人生を生きてみたかったという気持ちは本当です。

でもそれはお母さんやおばあちゃんを見ていると、絶対に言ってはいけないと思っていたし、今日もこの先生がいなかったら言わなかっただろうけれど、
それは言ってしまおうとなぜ思ったかというと、私はやはり障害のない人生を生きてみたいと思ったけれど、障害のない人生なんて、どれほどの意味があるのかという考えも私にはあって、私は障害のない人生も生きてはみたいけれど、障害のない人生が素晴らしくて、障害のある人生がつまらないということはないということをきちんと伝えたいので、
あえて障害があってもいいじゃないかということを言いたいと思ったからです。

私は自分でも障害のない生き方をしたいと今でも思わなくはないけれど、その気持ちというのは、少しぐらい歩いてみたいとか、少しぐらいしゃべってみたいというぐらいの気持ちなので、私が大事にしたいのは、歩けるとか、歩けないではなくて、本当の清らかな気持ちを持つことなので、
歩けたほうが清らかな気持ちが持てないならば、
歩けない方がいいという気持ちになっているので、一度、おじ、おばあちゃんやお母さんには・・・おじいちゃんと言いかけたのは私ですか。(笑)

おばあちゃんやお母さんにわかってもらいたいので言いました。
私も普通の女の子のような気持ちはあるけれど、それを超える清らかな気持ちで生きていきたいという心があるということを言いたかったので、
あえて、私だって普通の体になってみたいと思うことはあるけれど、
普通の体になったからといって、心が濁るようだったら、
私は普通の体にならなくていいということを言いたかったのです。

難しいかもしれないけれど、先生の言っていることは間違ってはいないので、
今のが私の言いたいことです。
先生もそうとう難しいようですが、やはり難しいのでしょうか。


柴田先生
予測が成り立たないんで、(笑)どっちにでも行ける言葉を言っているので、・・・
しかも変わるところが最後の語尾のところだけがどんどん変わっていくので、間違えたら大変だというところがあるので、単語は全部同じでも語尾を・・・


れのあちゃん
わかりました。
私が語尾ひとつで変わることを言っているからですね。
単語なら簡単に予測がつくけれど、語尾は丁寧にやらないといけないことがわかりましたが、先生の語尾は違わないのが気持ち悪いぐらいですが、
私が言いたかったことは、よく言えたのでよかったです。
お母さんもおばあちゃんも、私のことを心から愛してくれているので、私はなんと言ったらいいかわからないのですが、私は嘘をつきたくなかったので、
私は普通の生き方もしてみたかったけれど、今のこの状態の最大のプラスは、
清らかな心を持つということなので、そのことをきちんと伝えておきたかったからです。
いつかまた、お母さんとおばあちゃんとまた、このぐらいのスピードで話せる日
が来るかもしれないけれど、ゆっくり話すなかで、今の話を伝えるのは難しいし、さきほど栗原先輩が途中で途切れたら、反対の意味になると言ったことに関して、私は普通の子供になりたかったで、途切れてしまったら、
一番言いたいことが伝わるどころか、
お母さんやおばあちゃんを一番悲しませることになるので、
先生とでなければ言えなかったことです。

私は普通の子になりたいという思いは普通に持っているけれど、
清らかな心を持てているいまの自分にとても満足しているし、
お母さんもおばあちゃんも、今の私がこうであることに、
なんの責任もないし、
むしろ、いろいろあったかもしれないけれど、
私はこうして、人間のなかで一番清らかな心を持てる人間になったのだから、
お母さんもおばあちゃんも、できることなら、私を誇りに思ってほしいと思います。
私のような人間を誇りに思うなんて、少しおかしいかもしれないけれど、
うちの娘は人間のなかで一番清らかな心を持っている娘だということを人に言う必要はないので、ぜひ心のなかに持っていていただけると私はとてもうれしいです。

まさかそういうことまで話せるとは思っていなかったので、やっぱり先生は魔法使いなのかと思いますが、先生の言葉を聞いていると、自分の気持ちをもっと言いたくなるという気がするので、そのまま言ってしまいましたが、今日の話はずっと言いたくて言えなかったことだし、
一生言うこともないと思っていた言葉なので、言えてよかったです。

今日はまさか私がここまで話すというか、私の言葉を聞き取れる人がい
るということを聞いても、なかなか信じることができなかったけれど、簡単な言葉だけ聞いてもらえればいいと思って来たのですが、
まさか私が一番大事にしていることまで、言ってしまうとは思わなかったので、本当に驚くばかりです。

これがもし夢で、明日、朝目が覚めたら全部夢だったとう気もしないではないのですが、それもそうでもないみたいなので、
今日は本当に私も一生が変わるような日かもしれないので、
またゆっくり考え直したいと思いますが、さすがに私も話が止まらなくなってき
ているので、(笑)いったん区切りたいと思います。
先輩はどう思いましたか。(笑 拍手)


まーくん
そうですね。先生が大変だよねというのは本当にそのとおりです。
僕はここにいるのが恥ずかしくなってくるような気がしますが、まさか生まれてからずっと障害を持っている人たちが、ここまで心が清らかだということは驚くばかりですが、僕もこの体になって、得たものは数少ないけれど、得たもののひとつは人が信じられるようになったことなので、
昔から人は信じるたちだったけれど、まさかここまで人は美しいものかなんて思わなかったので、昔のくりがこんなことを言ったら、昔の連中は、お
前おかしくなったのかと言うかもしれないけれど、僕が得たことのひとつは、やっぱり人は心がとてもきれいだということだったので、そのことをちっちゃい頃から考えてきた人は言うことが違うなと思いましたが、
あのくりがこんなことを言えるようになっただけでも、やはり障害というものの持つ不思議な力を感じざるを得ません。

障害というのは僕は障害を受ける前は、とても大変なものだという感じがしていたので、できるなら自分はそのことから目を背けたいと思っていたのですが、
まさか自分がその当事者になるとは思わなかったけれど、なってみるとやはり人間はすごいなと思わざるを得ません。

あの僕が避けていた障害は、僕にとって一番難しかった、
人を信じるということについて、大きな答えを与えてくれたからです。
まさかこんな答えが、あの大変な事故のあとに待っているとは思わなかったので、母さんもそろそろ、恐い・・・(笑)お母さんも恐いお母さんをやめて、
もとの面白いお母さんに戻ってください。(笑)
お母さんが恐いというのは、間違えたかもしれませんが、思わず
言ってしまったから、強いの間違いです。(笑)
・・・・・

お二人のご家族とも本当に愛でいっぱいで、そばにいられることがどんなに幸せなことだろうとも思いました。
わたしはまー君にもれのあちゃんにもお願いして、指談の練習をさせてもらって、お二人に教えてもらったので、
大好きなたけちゃんともお話ができるだろうか?
そうちゃんともできるだろうか?
まーちゃんともできるだろうかと思うと、わくわくします。
そして、もうひとつ思うことは、れのあちゃんやたけちゃんは、小学校三年生。

私たちはつい、まだ三年生なのにすごいというふうに思ってしまうなあと思うのです。
れのあちゃんやたけちゃんは本当に素晴らしいなあと思うけど、
きっと、もっと小さい頃からきっと同じように思っておられたと思うのです。
赤ちゃんだから、保育園だからというようなことは決してなくて、
みんな生まれたときから、私はれのあちゃんやたけちゃんのように、内側にこんなに素晴らしい思いを誰もが持っているのだということも、お二人が教えてくださっているように思います。
かつこ