春の雪解けのように

迷子の熊さん、城から逃げ出したようですよ。ああ、よかった!!
もとの森へ無事に帰りますように。

今日は、日本中が寒さに震えているようです。


かっこちゃんのメルマガ第1589号
宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと(2013年12月11日)からです。

先日行われたきんこんの会でのまーちゃんの言葉を、
しげちゃんが起こしてくださいました。

・・・・・
僕の場合は、新潟からやってきているので、近いのか、遠いのか、ややこしいのですが、
新潟はもう冬ですよ。
新潟はすでに冬ですが、こちらは、まだ秋だったので驚きました。
僕たちは季節には敏感だという話を最近、先生のまわりで話している人がいるのを聞きましたが、本当に季節のうつろいには敏感で、
今日は冬の新潟から、秋の横浜に来て、ちょっと不思議な気持ちがしていますが、
秋から冬に変わる時のさみしい気持ちをみなさん知っていますか。

秋から冬に変わるとき僕は、いつも、秋が去って、冬が来るのはいいけれど、本当に冬が春になるのかという思いがしています。

本当に冬が春になるのかという思いは新潟の人にはわかると思うのですが、
雪ですべてが真っ白になってしまった世界のなかに、本当にどこに春の気配があるのかというふうに思えるからです。

でも不思議なことに季節は必ず春を迎え、雪は必ず解けていくのですが、
いまわざわざこの話をしたのは、
僕たちのまわりにも、いままるで、あの新潟の雪のような、世間の無理解な視線というのが注がれているわけですが、
本当にこの雪は解けるのかというのが、いまでも僕はまだ自信が持てないところです。

この会に来ると、この新潟のような雪は解けるのかというのが、必ず春のきざしがある気持ちにさせられるのですが、やはりまた新潟に戻ると、ほとんど雪の解ける気配はなくて、
新潟の雪よりも深い雪が僕らのまわりにはあるような気がしてきます。
なぜなら、やはりこのやり方ひとつが受け入れられないどころか、このやり方についても批判の声まで聞こえてくるようになってきて、
母はケロッとしているようですが、やはり批判というのはきついものですね。
僕も批判されると、少し気分が沈んでいきます。

柴田先生は、批判なら僕は受けると言っていたけれど、先生も相当つらそうなのは知っているけれど、批判は批判でいいのですが、
なぜか理解する人が、そのことによって、動けなくなるところがあるような気がしているからです。
理解してくれた人までが、批判する声の前に、
ひとり去り、ふたり去りという気配をするのが、
まるで雪が解けようとしたところに、またどか雪が来たような感じがして、
なかなか春は来ないなという気がしています。

最近はやはり前よりはずいぶん理解者は増えているような気もするのですが、
一番大事なまわりが、まだ新潟のあのどか雪の中に閉ざされているので、
僕もつらいところです。
今日はこのことをどうしゃべろうかと思っていたのですが、ちょうど季節のこ
とが思い浮かんだので、その例えにしましたが、その雪も必ず解けるということも、言ってはみたいのですが、まだ僕の実感は、
この雪は本当に解けるのだろうかという、あの新潟の人が、大雪を前にしてつくため息と同じようなため息をいま僕はついているということです。

先生もため息をしょっちゅうつきながらやっていることだろ
うとは思いますが、僕たちも負けてはいられないので、新潟の人の雪の前にため息はつくけれど、雪には負けていないので、そういう感じでがんばるしかないかと思っています。

まだまだ理解者は少ないので、がんばらなくてはいけませんが、
せめて、いったん理解した人が去らなければならないような、あの批判の声だけはなんとかしたいと思っていますが、
今日、前の方が全体の前に、あのメッセージをみんなに言いたいと思った理由もわかるような気がしました。

やはりこのことを批判するのは、簡単かもしれないけれども、
批判する人もやはり懸命に何かを守ろうとしているのでしょうが、
僕たちの方は、完全にそれで人格を否定されるわけですから、相当なダメージがあるので、そのへんまで考えて批判する人も批判してくれたらいいのになと思っています。

僕の場合は、母が強いからいいけど、これで母が弱かったら、母ももうがっくりきてしまうだろうなということが多々ありますが、
先生のことも、毀誉褒貶(きよほうへん)激しいようで、
不思議な人だというところから、ほとんど詐欺師的な言い方をする人までいるので、
やはり難しいですね。

僕たちのまわりにいる人たちは、みんな先生のおかげでしゃべれるような子供たちなのですが、せっかくしゃべれるようになっても、そのしゃべれるようになったことを続けられないでいる仲間を見ると、やっぱりつらくなります。
せっかくしゃべれたのにまた、暗闇の中に戻されたみたいな感じがするのが、
とてもつらいです。

新潟の雪のイメージをぜひみなさん、どうか心に留めておいてください。
新潟の人が雪を見て、ため息をつくあのため息が、
いま僕のまわりに満ちているということです。
それでは今日は少し暗い話でしたが、明るい話は他の人がしてくれると思うの
で、僕はここで終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
・・・・・

まーちゃん、「きよほうへん」むずかしい言葉を使われましたね。
私はちっともわからなくて、ネットで調べました。

「そしることとほめること」

と書いてありました。
そっかあ、凄い人だなあという人がおられるかと思うと、
詐欺師みたいに言う方もおられるということですね。
写真家の野村哲也さんが
「かっこちゃん、白雪姫プロジェクトは誰も不幸になる人がいない。
みんなが幸せになることだよ」
と言ってくださったことがありました。
本当にそう。みんなが幸せでいられること。
だって、誰もが思いがあって、こうして伝えられるようになることが、
誰かのつらいことのはずがないもの。

まーちゃん、このごろは雪が降り積もっても、それが長く続くことは石川県ではなくなりましたが、新潟ではどうですか? 
昔はすごく降りました。
冬には雨が降るなんてことは決してなくて、降るなら雪ときまっていましたものね。
だからきっとそんなふうに、だんだん、非難されることも少なくなって、
これが当たり前になっていきますね。(一部略)

かつこ


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