「ゆうきくんの探していたもの」 2

かっこちゃんは、ゆうきくんを見失わないようにと、懸命に追い続けています。
その中で、お母さんのことが語られていきます。

「ゆうきくんの探していたもの」 2

お母さんのお話に主事先生も私たちも言葉を失っていました。
自分たちのただひとりとして、
お母さんのされていることの何分の一もできないと思いました。

こんなこともありました。
参観日にこられたお母さんが話して下さったのです。

「下校の学校のバスから降りると、ゆうきはまたいつも歩き出します。
今では保育園の下の子は家で待つようになって助かっています。
それでもまだ保育園の他の友達がお母さん、お母さんと甘えているのをみると下の子が不憫になるんです。
あきらめてもらうしかないと思っています。

でもゆうきはこのごろ、どうして道がわかるのか不思議なのですけど、
夕方、日の沈むころになるときまって、私の車がとめてある駐車場へ帰ってくるようになりました。
初めての道でも決してまよわずにいつのまにかもどってこれるのです。
どこへ行ってもそうです。
そして私の車に乗りたがります。

私たちは決まって海に行くんです。
夕日が沈むのを二人で見ていると、こんな静かな時間をふたりで持てるようになる日がくるなんて考えもしなかったなあと幸せな気がします。

今でも歩きまわることは変わってはいないけど、
いつかもっと静かでゆっくりした時間があの子ともてるかも知れないという希望のようなものを感じるのです」

学校では入学当初をのぞいて、ひとりでどこかへ出かけるということはほとんどありませんでした。
たまにどこかへ行こうとしても、大きな声で「ゆうきくーん」と呼ぶと、
少しいらいらして、頭を自分の手でごんごんたたきながらも帰ってきてくれていたのです。

 けれど、4日前、悲しいことが起きてしまったのです。

朝、ゆうきくんを送られたお母さんは、
そのまま車でどこかへ出かけられる途中だったのだそうです。
一旦停止の場所で、
どうしてだかお母さんは一旦停止をされずに直進したのです。
そしてとてもとても悲しいのですけど、ゆうきくんのお母さんは、
大きな車とぶつかって、亡くなられてしまったのです。

私たちも朝お会いしたところだったので、その電話が信じられませんでした。
下校時までゆうきくんは学校にいて、それから私がゆうきくんの家まで送りました。

お父さんは悲しみの中でお通夜とお葬式の間のゆうきくんのことを心配しておられました。
「私の家に来ていただいてもかまわないのですが」
とお話してもお父さんは首を縦にはふられませんでした。

「ゆうきは亡くなった母親が、
自分の身体の一部のようにして、守って大きくしてきたのです。
父親として僕は何ひとつできなかった。
これからは僕がゆうきを守っていかなければなりません。
しかし仕事もあります。
あまりにも大きい母親の苦しみを今になって思います。
しかし、母親は自死ではないと信じています。

ゆうきが戻る前に夕飯の買い物をするために、いつものあの道を通ったのです。     苦労は人一倍しているけれど、
あれはゆうきがいい方へ向かっていると、このごろうれしそうだったのです。

夜は母親でなければだめなのです。
先生に迷惑はかけられません。
施設に2、3日入所を電話で申し込みましたが、今すぐでは職員の都合がつかないということでした。

しかたがないので、三日間病院に入れることにしました。
あの子を鍵で閉じこめることは忍びないし、それは母親があれほど苦労しながらも、けっしてしなかったことだけれど、
ゆうきの命を守るためなので、三日間だけゆうきにも母親にも目をつぶってもらおうと思います」

「ゆうきくんの探していたもの」1