食べものさまには 仏がござる

昨日、米粒に「命」と書きましたら、

  食べものさまには 仏がござる
  おがんでたべなされ

宇野正一少年のお祖父さんの声が聞こえてきました。

再掲です。

宇野先生は長年小学校の先生をされ、
お辞めになった後は地元の短大の先生をされていました。
先生が四歳の時母は二十七歳で亡くなり、父の実家で祖父母によって育てられました。 
お祖父さんはとても念仏を喜ばれた方で、
「お母さんにあいたかったらお仏壇にお参りしなさい」、
何でもかんでも「仏がござる」でした。
そしてお米についても「仏さんがおられるのだから拝んで頂きなさい」と、
繰り返しお話しされました。

小学校五年生の時に理科の時間に顕微鏡で物を観る時間があり、
宇野少年は
「ああ、おじいちゃん、〝いつも食べ物様には仏がござる〟と言っておった。
ご飯の中に、顕微鏡で見たら仏があるだろうか」
と、弁当箱の一粒のご飯粒を取り出して顕微鏡で覗きました。

ところが仏さまは見えなかったので、先生に尋ねました。
「おじいちゃんは、〝食べ物様には仏がござる〟といつもいうんですけど、
先生、ご飯の中に仏が見えませんが、仏さまはいるでしょうか?」

学校の先生は
「そんな馬鹿な話があるか。お前のおじいさんは迷信だ。
ご飯の中には含水炭素とタンパク質と澱粉と水があるんだ。
仏なんかあるもんか」
とおっしゃったそうです。

宇野少年は家へ帰り、
「おじいちゃん、嘘ついた」
とおじいちゃんをなじったそうです。
おじいちゃんは、孫のいうことを黙って聞いておられて、
しばらくしてから仏さまの前に坐って、長い間涙を流して坐っておられたそうです。
その姿が宇野少年の心を貫いたのですね。


      たべものさま


   たべものさまに 仏がござる
   おがんでたべなされ
   大むぎめし しいなもち
   まずいまずいと もんくたらたら
   そのたびに しかられた
   帰命無量寿如来
   おじいさん いま頃やっと
   おがめました
   たべものさまには 仏さまがござりました
   おじいさん
                      (宇野正一

 仏さまとは私の命にはたらいていてくださる、目には見えない力です。
私の命を支えるために、
沢山の命がはたらき続けておられる世界があったことに気づいたのです。
これが仏さまでしたと。