東京の運転手さんの話

きのう、運転手さんの話を書きましたら、
故・高光かちよさんの「東京の運転手さんの話」を思い出しました。
金沢の方なので、直接お聞きしたことがあります。

人の知恵仏の知恵(NHK「こころの時代」)でも、語っておられますね。

高光: ある時、東京へ行ってタクシーに乗ったことがあります。
それでタクシーに乗って行き先を告げても返事もしなかったんです。
金光:  運転手さんが、
高光:  はい。運転手さんが。
ああ、ご機嫌の悪い運転手さんだなあと思っていたら、いきなり、

「わしら、お客さんかて、荷物並みや」というんです、私にね。

それから、ああ、と思ったんですけれども、
ああ、そうか、荷物になればいいんだわと、ヒラリと荷物に変わったんです。
そして、「運転手さん、この荷物大分古いから壊れんように運んでね」
と言って、黙っていました。
それからいろんな話を私にしてくれるんです。
丁度、方南町から大山町までだったから、近いから降りて、その時に、

「お客さん、気を付けて帰って下さいね」と言うんです。

今度お客さんにしてくれたんです。私も、
「運転手さん、あんたも大分血の気の多い人みたいやなあ。
気を付けて運転してね」
と言って、そこで何にもなく別れたんです。

だから自分がそこに馬鹿だと言われたら、馬鹿になればいいし、
荷物とはそれでも予想しなかったんですが。
だけど、あ、荷物か。荷物にならなくちゃならない場合があるんだなあと思って、そういうことがありました。

金光:  先程の猫のお嫁さんの場合ですね。
両方の心があるんだということを認めると、
その時の姑さんの方は兎に角蹴飛ばした方ばっかり、
ずうっと考えているわけですけれども、
人間には両方あるんだというふうに見ると、
また違った自分の心も出てくるんでしょうけどね。

高光:  そしてそういうのを引きずっている長い間の心が、
自分が困っているんですね。

金光:  その思いに掴まってしまっているということですね。

高光:  そうです。それがどれだけ経つか分かりません問題を、
また現実に持ってくるんでしょう。
だから考えれば馬鹿みたいなものですけれども、
それでもやっぱり執着するんですね。

金光:  事実が、現実が先にあって、
それによって引き起こされた思いをずうっと引きずっているとうまくいかないと言いますか、
仏さんの智慧はその時その時で新しいことを、
ちゃんと教えて下さるように出来ていると、

高光:  そうです。だから自分というものがしょっちゅう空になっているというわけにいきませんけども。
だから自分の思いを虚しくしている場合は、
例えば運転手さんに荷物とわれても、
ああ、そうか、荷物になればいいんだというふうにですね、
人間の心なんていうものは人間でおったのじゃ、どうしようもないんですけれども、
仏さんと一緒ですから、そして私は生活の智慧だと思っているんです。

金光:  ヒラリと荷物にもなることが出来るわけですね。
そうなると運転手さんも変わってくれる。

高光:  はい。自分が変われば相手が変わるんですよ。
だから普通のトラブルでも、自分が変わってしまえばいいんですけれども、
なかなか変わる心がないと変われませんでね。