母と娘のヨーロッパ旅行

郁代と二人だけのヨーロッパ旅行ができたこと、
今では奇跡のように思えます。
どんなことも「いつだってできる」とは、もう言えなくなりました。

郁代の休日には、
日本から友人、知人が入れ替わりシドニーを訪れていましたので、
それ以上郁代を忙しくさせるわけにはいかないと、
家族はシドニー訪問を遠慮していたほどです。

数年が過ぎ、もう落ち着いた頃だろうと、
ある日私は大胆にもこう言いました。
「郁代がお母さん一人だけの添乗員になって、
ヨーロッパ旅行してくれないかなあ」
「いいんじゃない?」

季節は8月、郁代がオーストラリアから私を迎えに来て、
ツアーのスタート地となるロンドンに向かいました。
到着した日の夜は、ミュージカル「キャッツ」を観劇、
翌日からは、バカンスを楽しむアメリカ人参加者が中心の、
ヨーロッパ一周ツアーが始まったのです。

「私が通訳するから安心だよ」
と言いつつもその言葉が終わらないうちに、
郁代はもうツアー客と話すのに夢中でした。

英語だけに囲まれての私の10日間を想像してみてください。
私との約束「通訳するから」はほとんど守られなかったのですが、
それでも私は充分しあわせだったのです。

遠くにいて家族と過ごすことのない娘と、
『十日間を共に過ごす』という私の目的からすれば、
何の不足もなかったのです。

郁代は今後年老いた両親が、もし病気で寝込んでも、
すぐには看病に来られないだろう。
その時、親孝行できないと悩むだろう。
『親孝行を今のうちにしておいて貰えば、もしもの時、気が楽だろう』。
これが旅行にかけた、私の本当の願いだったからでした。


ドーバー海峡を大型フエリーでカレー(フランス)ヘ。
パリ・ルーブル美術館。ドイツ・ロマンチック街道にライン川クルーズ。
ブリュッセルの小便小僧。
スイスでは登山鉄道でユングフラウヨッホへ。
噴水と光の街ルツエルンでの滞在。
尽きることのない楽しかった思い出…。
いま思えば、母と娘の夢のような幸せな時間でした。

この旅行から四年後。
郁代の病気を知らされた時、私は心の中でさけびました。


「いくちゃんが病気をした時のために旅行したのではなかったんだよ!」
「おかあさんが病気をした時のためだったんだよ。
おかあさんの代わりに病気になんかならなくてよかったんだよ!」


残り時間が少なくなってきた頃には、
こんな会話が何度も繰り返されました。

「親孝行できなくてごめんね」
「ヨーロッパ旅行楽しかったよ」
「お母さんも楽しかったよ」

暗闇に浮かぶエッフェル塔に刻まれた2000年の文字が、
今もアルバムの中で光っています。

郁代との二人旅は、私の生涯で一番贅沢な旅になることでしょう。
“私一人だけ”の添乗員ですからね。
                                (再掲)

シドニーの会社では、有給休暇を取らせないと罰せられるので、
 長期休暇を取ることは至上命令。それで旅行ができたのでした。