「本当はきてほしかった」

ヒヨドリ

郁ちゃん 春になるといつも胸が痛むことがあります。
「行けなくてごめんね」

あなたの小学校の入学式、母は行けませんでした。
その頃小学校に勤めていて,たまたま1年生の担任、
同じ日に入学式がありました。

休みのとれた父親が付き添いました。
あなたはその日も、それからも、
「お母さんと行きたかった」
とは一度も言わなかったね。
中学、高校の入学式には、別の仕事をしていたこともあり行けました。

坂道を上ってすぐの木造校舎の前で、
父親が撮った1年生の写真が残っています。
それと比べた時、残された絵が写真の場所とそっくりだったので、
「これは校舎を描いたのだ」とわかったのです。

1年生の絵は、どれも楽しそうでどんなに救われたでしょう。

「本人はそれほど気にしていなかったのだろうか?」
と思っていました。
ほとんど家にいることはなく、友達との外遊びが大好きでした。
いつも家にはおばあちゃんがいると安心していたからでしょう。

メジロ

神戸の大学の卒業式、忙しさにかこつけて出席しませんでした。
行こうかな、どうしようかな・・・
邪魔がられるだろう、遠慮するわ・・・と。
振袖は送りましたし、家族同然の親戚の人もいたんですけどね。

だって、ちゃっかりと単位を早めにとって、
ヨーロッパ一人旅をしたり、海外旅行にあけくれていたのですよ。
費用は前借りすることはあっても、必ずアルバイトをして返していました。

ですから、あとでこの言葉を聞いたときはびっくりしました。
「卒業式に、本当はきてほしかった・・・」

「小学校の入学式に本当はきてほしかった・・・」
と言いたかったのかもしれませんね。

今、さかんにネットで話題になっている
「入学式に1年生担任の高校教諭、我が子の“高校入学式のため”休暇をとる」
に心が揺れました。

“小学校入学式のため”ではなかったことに、
違和感がありました。

今よりずっと休みがとりにくかった時代、恐竜がいた頃の話・・・
昔人間は困ったものですね。