「ありがた〜いことが、わかったがや!」

気がつけば、昨日、新聞の連載小説はこのように終わっていました。

親鸞 完結編  五木寛之・作 
   第362回  自然(じねん)に還る(6)

有難うございました。

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(前略)
覚信は尋有のいいたいことがよくわかるような気がした。
そして、ずっとこの数年来、考えつづけていたことを口にした。
親鸞さまが往生なさるときは、
きっと驚くような奇瑞(きずい)がおこるはずです。
わたしたちは、それをしっかりみとどけて、
世の人びとに伝えなければなりません」
尋有は首をかしげて何もいわなかった。

十一月二十八日、朝方、つよい風が吹いて庭木の枝が折れた。
親鸞はその日、朝から呼吸がとぎれたり、また大きくあえいだりしながら、
少しずつ静かになり、やがて昼過ぎに口をかすかに開いたまま息絶えた。
自然な死だった。
そばにつきそっていたのは、覚心と蓮位、有房、顕智、専信、
そして尋有の六人だけだった。
(完)
・・・・・

義父は親鸞聖人と同じ九十歳で逝ったのですが、
自宅で寝たきりになっていたある日、
介護していた私を呼んでいいました。

「ありがた〜いことが、わかったがや!」

生涯親鸞聖人の教えを聞き続け、
寝室の四面が仏書で埋まっていた義父でした。

紫たなびく雲が迎えに来たという、
奇瑞が起こったのだろうかと駆け寄った私に、
「自分が、だちか〜ん(無力な)者やとわかったことが有り難いがや…」
と言ったのです。
その時の義父の顔が、満ち足りて輝いていたことを忘れません。

「自分で生きてきたのではなかった。
大いなるはたらきによって生かされている身であった。
そのことがわかってうれしい」
義父はそう言っていたのだと、いま教えられるのでした。