無償の愛
「この間もありがとう」と、
知り合いの農家の方が大きなトマトをくださいました。
「最近は小さめのトマトが好まれ、
大きいトマトは市場では売れにくくなったんです」って。
『次郎物語』を書いた下村湖人という方の、
「心窓をひらく」という作品の中に、「お母さんのかんじょう書き」という一節があります。
条件をつけてものを見ている心と、
条件をつけないで寄り添っている心が綴られています。
これを読んで、
私はいつも見返りを求める心で生きていたなあと、思い知らされました。
“みんなただ”の、貰いものばかりでした。
進という少年が、学校へ出かけるとき、前夜書きつけた紙片を二つに折って、
お母さんの机の上にそっとおいて、学校へ出かけていきました。
紙片には、次のように書いてありました。
かんじよう書き(請求書)
一 市場にお使いに行きちん 十円
一 お母さんのあんまちん 十円
一 お庭のはきちん 十円
一 妹を教会につれて行きちん 十円
一 婦人会のときのおるすばんちん 十円
ごうけい 五十円
進
お母さんへ
進のお母さんは、これをご覧になってニッコリなさいました。
そして、その日の夕食のときには、今朝のかんじょう書きと、五十円が、ちゃんと机の上にのっていました。
進は大喜びで、お金を貯金箱に入れました。
その翌日です。
進がご飯を食べようとすると、テーブルの上に一枚の紙がありました。
開いてみると、それはお母さんのかんじょう書きでした。
お母さんのかんじょう書き
一 高い熱が出てハシカにかかったときの看病代 ただ
一 学校の本代、ノート代、エンピツ代 みんなただ
一 まいにちのおべんとう代 ただ
一 さむい日に着るオーバー代 ただ
一 進さんが生まれてから、今日までのおせわ代 みんなただ
ごうけい ただ
お母さん
進さんへ
この作品の主人公である進君は、普段から大変親孝行な少年であったように思います。
そして、進君はごく自然に親孝行の見返りを、お母さんにお金で求めたのです。
お母さんは進君のその求めに快く応じながら、
さらに「見返りを求めない世界」「お金を越えた世界」のあることを、
進君に教えたのです。
この見返りを求めない「無償の愛」は、
相手をいつも自分のことのように見ていくところに生まれます。
自分のことのように見ていくということから、
「同体の慈悲」とも言います。
仏さまの「大悲」と言われるお心は、まさしくこの「無償の愛」のことであり、
「同体の慈悲」と呼ばれるお心なのですね。