世界にイエスという

いなくなったのではなく、姿が変わったんだね。



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8月13日

朝方一時呼吸困難になったため緩和ケア病棟へ緊急入院。

夕方、仕事を終えた家族が揃った。
一時的に特別室が用意されたため、
「広いね!」「ホテルみたいね!」と、
三ツ星レストラン、四ツ星ホテルの話題で盛り上がった。
旅行会社にいたことがある郁代が、急にいきいきしてきた。
「家族旅行でホテルに泊まっているみたいね」
郁代の次に旅行好きの夫がそういった。

その時、郁代が突然言った。
「これからみんなで食事しよう!」

食べ物の摂れない郁代の前で食べられるはずがなく、
家族揃っての食事会は、いつの頃からか途絶えていた。
うどんなら…、おそばなら…、と出掛けても、
「私の分は注文しないでいいよ。お母さんの分を少し食べればいいから」。
四月の頃からそんなふうだった。
このころは、話題が「食べ物」にふれることさえはばかられていた。

お兄ちゃんが、近くの弁当屋から調達してきた豪華メニュー。
押し寿司、いなりずし、サンドイッチ…。
郁代の前で食事をすることは辛いことだったが、
「やめておこう」とは言いだせなかった。
心の中で泣きながら、私たち家族はおいしそうに食べた。
「みんなで食事したい」という郁代の願いを、
叶えてあげたいと皆が思っていた。

「はじめての病院食、どんな味付けか、わたしも食べてみるわ」
五分がゆ、煮物、煮魚、おつゆ、フルーツ…。
ほんの少しずつ味見をしては、口から出し、郁代は、
「ここの食事、すごく味付けがいいわ」とうれしそうに言った。
賑やかな夕食だった。

この身体の状態では、味はわからないはず・・・
あとで看護師さんが教えてくれた。

一日を振り返ると郁代は朝から休む暇がなかった。
一時間かかる病院までの車内では、すべての水分を吐き続けた。
気力も体力も限界だったはずだ。

それなのに郁代は家族の前で元気に振る舞っていた。
身体機能が停止直前の中で「いのち」だけが輝いているような、
今思えば不思議な光景だった。
「明日また、みんなで来るよ」と、お兄ちゃんが言うと、
「むりしないで。わたしのせいで、みんなが病気になったりしたらいやだから」

昼は看護師に「ありがとう」と何度もいっていた。
郁代は、いつも家族への配慮を忘れなかった。
いのちの極限にいてなお郁代は、
「いまの自分にできる事」をしようとしていた。

私一人が残り、家族は帰っていった。
だが、これが「最後の晩餐」だったと知るのは、
わずか十時間後のことであった。

「会いたい人、みんなに会えてよかった。
あしたから、わたしだけの時間にして、静かに過ごすわ…」

「これまで、お母さん、完璧やったわ。
必要なもの、必要なことが、いつも直ぐに用意されていたもの…」

力になれなかった…、助けてやれなかった…
悔いる母を、郁代は「許す」といってくれていた。
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        「あなたにあえてよかった」 より