“白いおにぎり”

実家を継いでいた弟が突然の事故で亡くなり、過日葬儀がありました。
近くに住む3人の子供たちは結婚していて5人の孫もでき、
賑やかに余生を過ごしていたのに・・・。

昭和20年、建物疎開のため母親の実家がある能登で暮らすようになったのですが、
終戦の翌年に生まれたのが5歳違いの弟です。

私が小学5年生のころ、教室の後ろで遊ばせていたことを思い出しました。
担任の先生は授業が終わると、「良い子にしていたね」と、弟に飴玉をくれました。
大人は生きるのに厳しい戦後に、
授業を受けながら子守をしていた、そんな時代があったのです。

郁ちゃん、
私と、弟(叔父さん)の奥さんと二人で、初めてシドニーを訪れたことがありましたね。
飛行機が嫌いで、一度も海外へ行ったことがない弟でしたから、
旅行中は二人が無事で帰れるか心配で心配でたまらなかったようです。

1週間の旅を終え早朝金沢駅に着いたとき、
迎えに来た弟が差し出したものは・・・
竹の皮に包んだ、でっかく握った“白いおにぎり”でした。
おにぎりに込められた優しい気持ちに、胸がいっぱいになりました。

そのおにぎりが、今までで食べたおにぎりの中で一番おいしかったです。

弟の握った塩味のきいたでっかいおにぎり、もう一度食べたいです。