「仏道に生きる 2」 

仏道に生きる                  御誕生寺住職  板橋興宗
                          き き て      金光寿郎
 
仏道に生きる 1」に続きます。

板橋:  事実に気付きなさい。
今というのを、時間の観念でとらえ、
―「さっき」「明日」「今」と考えがちなんです。
事実の連続があるだけです。  

金光:  掴まえようがないですね。

板橋:  ないですね。そういうことで(扇子で机を叩く)と、パシッと音が聞こえている事実、手をつねると痛い。
これが今なんです。
事実を今というんです。
私はそれを「出会」というんです。
あるいは、「縁」といいますね。
出会がそのままがその時の自分のいのちなんです。出会ですね。
それを仏教では「因縁」とか「縁」と言います。
「今が誕生」というのは、今の出会が誕生なんです。
こちらを見ると松の木が見えますね。
これが誕生なんです。

それが「臨終」でもある。
その時、その時が移っているということです。
「死にたくない」という、あの臨終じゃなくて、
その時が「すべてだ」ということです。
いのちの丸出しです。

金光:  その時、誕生して、その時終わって、刻々と動いている。  

     この出会
     ありがとう ありがとうさん  

というのも書いていらっしゃいますが。

 

板橋:  そうですね。私たちが今こうやっている。
今こうやっていることが地球始まって以来の出会、宇宙始まって以来の出会なんですね。 

金光:  はぁ・・そういうことですか。

板橋:  それは、だから私がこうやって息づいていることは、
まことに「有ること難し」なんです。
「有り難し」が「有り難うさん」になった。
その時その時の出会ですね。
ただし、ここも大事ですよ。彼女迎えに駅まで行った、と。
彼女はどっかで浮気して会われなかった、と。
会えなかった、それも出会なんですね。事実の展開あるのみです。  

板橋:  会えないという出会。だからその時その時のすべてが出会。
見えたこと、感じたこと。
すべてが事実であり、有りがたい、いのちそのものです。

それを歩く時に、われわれは、
「この雨降りに、この砂利道を」
とかと考えながら歩きます。
頭の世界で歩いています。
それを身体でじかに感じながら歩け、

「足の裏で歩め」ということですね。

歩く時は身体で感じながら歩きなさい。

金光:  頭の中だけで完結していますね。  

板橋:  身体が満たされちゃっていますからね。満たされるというか、飽満していますから。それをほんとに腹減ったらそんな考えできる筈はない。
「ああ、美味しかった! ありがとう! ご馳走さん! おにぎり一つありがとう!」と
目を輝かせます。
食い飽きている者にとっては、「なんで食べなければならないの・・」とつぶやく。
これが現代社会なんです。

板橋:  文明の世界は、頭の中で要求しますので、
「もっともっと」とつぎつぎに新しいものを作り出していきます。
「足」という字は、「たる」とも読む、「たす」とも読むんです。
がな一つで違うんですね。
「たす」は足し算です。
「たる」は今の息づかいに足りている。
今の一個のおにぎりに感謝。
大自然の一点を眺めて、それで足りている。

片方は足し算なんです。もっともっとつぎつぎに足すのですね。

これは、平成十九年十月二十八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。

「仏道に生きる 1」