「仏道に生きる 3」 

板橋興宗師近影

道元禅師は、
「眼は横に、鼻は縦」についている自分に気が付いたんです。

仏道に生きる                  御誕生寺住職  板橋興宗
                          き き て      金光寿郎
 
仏道に生きる 2」に続きます。

金光:  「足る」ところにいかないと。

板橋:  ダメですね。絶対にダメです。それは最後まで足し算でいきますから。
その足し算の最後に、人類はヘトヘトになっちゃうのでないでしょうかね。
それが今、兆候が現れてきているんじゃないですか。
何で豊かな世の中にいるのにさまざまな犯罪が起きる。
それで、「美味しく頂く」のと、「美味しいものを」というのは違うんですね。美味しいものを食べたがる。「美味しく」は腹減ればおにぎり一つが嬉しい。

喉が渇けば一杯の水がどんな銘酒よりも美味しいですね。
それで一つ誤解を受けやすいことですが、足ること―
「これでいいんだ、これぐらいで足りているんだ」と言って、頭でいい聞かせちゃダメです
それはダメです。それは不平が次々に出ますから。
ただ足りているんです、足りていることに気付くんですね。

金光:  考える前に、もう足りている。  

板橋:  足りているんです。
それを「俺はこれぐらいでいいんだ」と、どこかに言い聞かせがあったんじゃダメです
今の息づかいに足りているんですね。
今の世界に「足る」ということで疑問もないのです。疑問がなくなることですね。

ここで話題を変えてみます。
道元禅師がいろいろご修行されて、やっと気付かれたことは、

「眼は横に、鼻は縦」についている自分に気が付いたんです。で、

「私はもう学ぶことがなくなった。一生参学の大事ここに終わりぬ。
一毫(いちごう)も仏法なし」と。

一つの仏法らしいものはないんだ。
なんじゃ、当たり前でよかった。

そしてお釈迦さまが出てきて、「お前、それは違う」と言われても、
「そうですな。違いますな」なんて、
お互いに手を取りあって、ニコッとするような心境です
お互いがそれで問題がない。
しかし、足りているから美味しいものもいらないか、というと、そうじゃないんです。
お茶を出されれば、おいしく飲むでしょう。
ごく当たり前ということです。  

金光:  やっぱりそのために道元禅師の場合ですと、人間は生まれつき授かっているんだというか、悟りの世界にいるんだという言葉を聞きながら、
それでなお何で修行しなければいかんのか、という疑問がおありだったという。  

板橋:  そのために無駄骨を折ったわけですね。
修行というのは大変高級そうに見えますが、迷っている人間が無駄骨を折っている最中なんですね。
無駄骨を折るほどの迷いもないと、足りているという世界にも気付かれませんね。

これは、平成十九年十月二十八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。

「仏道に生きる 1」
「仏道に生きる 2」