人間というのが何なのか、はっきりわかる

僕はもっとバカチン女と結婚したつもりだったので、
そのギャップがすごすぎて、
いつからこんな深い人間になったのだろう?と不思議に思いました。

かっこちゃんのメルマガ第1942号
「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(2014年11月29日)です。

西嶋さんのブログ「夢の雫」から
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『この状態でもキチンと生きる』妻の挑戦

11月15日の夕方、柴田先生が来てくれました。
妻は柴田先生がくることを待ち望んでいましたので、とてもすごい話しになりました。
柴田先生はいつものように、
ベッドサイドに入ってくるなり、すぐに会話がはじまりました。
ぼくは、ああ、もう話し始めている・・・早く録音しなくちゃと思ってiPhoneを手にしたら、
妻は、ぼくが言葉を書き起こすことが大変だろうから、本当に大切なことだけ録音してくれればいいからと、言っていました。
妻は、どうも『障害とともに生きることで得た心のありかた=典型的な考え方』を伝えたいと思ったようです。

では、妻の指示通り、そこだけ書き起こそうと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
妻:ここから録音して下さい。
昨日から、先生が来られたら何を言おうかと待っていましたが、
私が一番やりたかったことは、筆談をもう一度、
主人に(柴田先生の)目の前で手伝ってもらいたいと言うことです。

主人はまだ上手く出来ないけれど、筆談をぜひ上手くさせて上げて下さい。
そうでないと、出来ない、出来ないと、毎日大変なので、
そろそろさせてあげないと、可哀そうだと思っているのです。
先生も相当筆談の腕を上げたそうですが、それは私達に会ったからですか?

柴田先生:去年あったころに、少しできるようになっていて、それから頑張って。

妻:先生たちはどうして次次に、新しいやりかたに向かって、自分のやり方を放り出
して出来るのか?と不思議に思います。
先生は自分で開発したパソコンも、いともたやすく放り投げて、
普通自分のものにはもっと拘るはずなのに、
筆談ばかりを人に勧めていて、自分で開発したやり方にこだわりがないのかしら?
そこが面白いのですが、それほど拘る事ではないのですか?

柴田先生:あんまり拘る事ではないんです(爆笑)何より、皆さんにちゃんとした
『気持ち』があるということを伝えることが最重要課題なんで。

〜柴田先生がかなり大笑いしながら、答えていたので、その人柄の話から、自然とき
んこんの会の話に切り替わっていきます。〜

妻:先生のそういうところが、若者たちに受けて笑いをとれていますね。
先生は本当にみんなの言葉が大好きで、だから、みんな楽しそうに話しています。
私はあの場では、それに引きずられるようにして、
なんだか人生の先輩のような言い方をしていますが、
私の一番の願いは、
実は、この状態でもキチンと生きられらかどうかを追求することなのですが、、、
あの場で、追求してるなんて言い出すと、結構、面倒くさくなるので、
皆さんの素晴らしさの事だけ話して、自分のことは話さないようにしていました。
今日は、この状態で私がどれだけ幸せを見つけたかをキチンと話しておきたいと思い
ます。


みんな幸せだと思いますが、私の場合は途中まで、歩けて、話せて、何でも出来たの
で、突然何にも出来なくなると、とても幸せなどと思えないのですが、
最近になって、この状態にも意味があると、しみじみと感じられるようになりまして、
この状態にある深い意味は、
私にとって『典型』のようなものですので、
これをキチンと記録していただかないと、せっかくこの状態になった意味がないので、
ここのところが、今日、一番大事なところになります。

これから私の『典型』にあたることをしっかり話そうと思います。

子供達を育て上げて、そろそろ人生、好きなことをやろうと思っていたところで倒れてしまったので、
一応、好きなことはやり残して、この状態になったのですが、
人間、好きなことをやっているうちに死んでしまうのは虚しい感じがして、
残った人生で好きなことをやるって、なんだかとても寂しい言い方だなぁと思っていたところで、
この病気と出会って、最初は好きなことも出来ずに死んでいくなんて、
それはあまりにも残酷なことだと思ったのですが、
今、はっきりわかるのは、
好きなことをして突然死んでしまうより、何も出来ないように見えて
人の気持ちだけが感じ取れるこの状態で、
自分の人生を今まさに、、まだまだ死ぬ気はありませんが、、
自分の人生の最後の場面を生きていると言うのは、、
一生の中で沢山の経験をして生きてゆくとすると、
最後にこの経験が出来るほど幸せ、という事になりませんか?

先生はどんな経験で最後を終えるかわかりませんが、
この間、冗談で先生も倒れてみればと言いましたが、
今度は本気で、先生も最後は寝たきりでどうか?最後の時を迎えられると良いと思います。

『感情』というものが細やかにわかるし、
人間というのが何なのかも、はっきりわかるので。

やはり生まれつきの子供達の前ではどうしても言えなかった一言ですが、
すべての経験をした最後にこの状態になると、
本当に『しあわせ』というものが、しみじみわかるし、
『人間』というものが何だったのか?ということが奥底までわかるので、
本当に素晴らしい人間の生き方をさせていただいたと思っています。

こういう言う方は少し宗教じみているのかもしれないけれど、
やはり人間というのは最後の最後まで人間であるということですし、
どんな状態でも人間であるということなので、
この状態になってしかわからない事が、こんなにあるということは、
この状態にある人間は、この状態をしっかりと味わって生きていく義務があるのではないか
と思いました。
この状態を味わえずに、突然亡くなる方もいるわけだし、
どちらが幸せか?それはわからないとしても、この状態を味わえない人もいるわけだし、
この状態をじっくり味わっている私は、きっと『幸せ』の部類にはいるのだと思います。
そんな、ちょっと他の人が聞くとわからないようなことが、
私にはわかるようになったので、このことが言えてよかったです。

小さいときから障害がある人たちには、このへんは全然考えが違うと思いますが、
あの子たちはあの子たちで、この問題をキチンと考えているようなので、
私は、あそこ(きんこんの会)で言うのは、少し失礼な気がして、
やはり、歩けて、話せて、なんでも出来た人間しか言えない、
少し、おごった言い方になっているので、あそこでは言えませんでしたが、
文章にするときには、これは書いていいと思っています。

それぞれの立場があって、それぞれの立場に対して、誠実に語ることが、
私たちの役目だと思うので、文章でならわかってもらえるし、、、
別にあそこで言ってもいいのですが、やはり、なんとなく、はばかれるので、
言わなかったということです。

かっこちゃんのメルマガにのると、みんなに伝わるので、
ちょっと照れくさいと言えば、照れくさいけれども、
そういうことは、やはり伝えていってほしいなと思っています。

〜ここで、ぼくは「へー」×3回とすごい大きな声でびっくりしながらひとり言をいう〜

ところで、そんなに驚くことかしら?
・・・と私がいうのは変ですが、先生はこういう話を聞きながら、
必要にかられなければ、まったく機械のように言葉を訳しているけど、、、、
私には先生が、今の夫の表情に、気づいていないことが、とても驚きました。
先生は気づいていませんでしたね?

柴田先生:あぁ、ぜんぜん気づいていなかった(笑)

妻:夫は、今の話に驚いているみたいで・・・私もここまで言えるとは思わなかったので、
ちょっと驚いていますが、こんな話ができるように、しっかりとすべて見通せるようになったのも、
こういうやり方に出会えたおかげですが・・・、

このやり方に出会う前に、その半分くらいは解っていたので、残念なことにこの大切なことは伝えられないのねと思っていたら、
この大切なことをこうやって伝えられるわけだから、
これはやはり伝えなければ失礼にあたると思っています。
相変わらず私は神を信じるものでもないわけだから、誰に失礼と言う事でもないけれど、
やはり、人々に対する礼儀ぐらいの感じで、キッチリ言っておこうと思いました。

私たちの夫婦のような、どこにでもいるよりは、少し自由に生きてきた夫婦にとっては、
こんな時間が突然やってきたのも、不思議な巡り合わせで、
ほんとうに味わえないものを沢山味わったなぁと思います。
・・・・録音はここまででいいです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

話はまだまだ続きますが、妻が心から伝えておきたかったことは、これで終わったようです。
しかし、ぼくは、妻の人間としての生き方というか、心の成長というか、
それがすごいことになっていたので、びっくりしました。

先日も書きましたが、僕はもっとバカチン女と結婚したつもりだったので、
そのギャップがすごすぎて、いつからこんな深い人間になったのだろう?と不思議に思いました。

もしかしたら、元からそうだったのをぼくが30年間も知らなかっただけなのだろうか?と不思議に思い「へー」×3回では足りないほど、びっくりしたのでした。

すごい人と一緒になったものだなと思いながら、
そして、僕は妻が倒れたときに、人生の半分はここからスタートするんだなと思ったことを思い出しました。そして、これを経験することが、僕らの人生なのだろうと、
その考え方が自然に心に染み込むように理解できたことを思い出しました。
この考え方は、今も変わりません。

ただ、まさかこんな心の会話を聞くことが出来る日が来るとは思っていませんで、大変、驚いた一日になりました。

この会話の仕方は、どうも、集合無意識のようなものがあり、そこに先生も妻もアクセスしていて、
二人の共同の言葉のようなものが入り交じって出て来ているように感じます。
妻は柴田先生の中の言葉や感情、そして情報も利用しながら、
会話しているのではないかと感じます。
ここが、頭が良くなったと感じるポイントなのかもしれません(笑)
どちらにせよ、彼女の『この状態でもキチンと生きる』の挑戦はまだまだ続きます。
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