往復書簡

昨日は『清流』連載の平 安寿子さんの文章 を紹介したのですが、
ああ、そうだった・・・と思い出したことがあります。

私の著書が、月刊『清流』(2007年3月号)の「新刊案内」に載った時、
その記事を読まれた広島の加藤さんが「あなたにあえてよかった」を読まれ、
長い長い達筆の手紙で感動を伝えてくださいました。

以来『清流』が届くたび、本の感想を書き、近況を伝えあう、
月1回のメールでの往復書簡が続いているのです。

2007年3月号

「新刊案内」ではこのように書かれていました。

・・・・・
著者の二女、郁代さんは二〇〇五年八月、ガンのため三四年間の短い生涯を閉じた。
本書は、三四歳で亡くなった娘の記録ではなく、
最期のときまで精一杯生きた一人の女性の物語である。
ガンの手術を受け、いったんは順調に回復したものの、やがて再発。
 八年間を過ごしたオーストラリアを引き揚げ、
両親の元に帰ってきた郁代さんは余命六ヵ月と知らされる。
残された命の限りを受け止めた郁代さんは、
大切な人たちを訪ねる「お別れの旅」に出、
遺書を書き、自らの遺影を選んで、死の準備をととのえる。

 子を失って嘆き悲しまない母はいないだろう。
本書は、その悲しみが読む者の心を打つのではなく、
死してなお娘との間に交わされた愛の深さゆえ、感動を呼ぶのである。
                 月刊『清流』(2007年3月号)より
・・・・・

亡くなった娘の記録ではなく、短い生涯を
「最期のときまで精一杯生きた一人の女性の物語」
をこそ書きたかった私には、とてもうれしい紹介文でした。

加藤さんは年齢は私の先輩で読書の人、音楽の人、
県立広島病院ホスピス病棟で、傾聴ボランテイアもされています。

オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督井上道義さんの大フアンで、
わざわざ広島から、県立音楽堂の定期演奏会を聴きにいらっしゃったこともありました。

郁ちゃん、あなたがつなげてくれました。