奥様へのラブレター

郁ちゃん Sちゃんが描いたイラストです。
いつでも、ちょこちょこっと描いています。

我孫子の「リーチ先生」で触れた佐藤さんは、ブログ「節子への挽歌」を書かれています。
亡くされた直後から「奥様へのラブレター」を毎日書き続け、
佐藤さんに励まされて私も「郁ちゃんへのラブレター」を続けようという気になるのです。

今年の年頭のあいさつでは、
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妻を見送ってから、8回目の新年です。
早いものです。
よくまあ7年も生きてこられたという気もしないわけではありません。
しかし、その一方で、あの時から時間が止まったような気もしていて、
私は歳をとっていないのではないかと思うこともあります。
生きている実感のない空虚な7年間。
そんな気もします。
すべてにおいて、現実感が希薄でした。
希望など持てようもない7年間。
今年は生き方を少し変えようかと思いだしています。
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「節子への挽歌」2700では、
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節子
この挽歌もついに2700になりました。
ということは、節子がいなくなってから今日は2700日目ということです。
まさかこれだけ長く続くとは思いませんでしたが、
しかしあっという間の2700日のようにも思います。

最初の数年は惰性で生き、そのあとの数年は粗雑に生き、
きちんと生きようと思う気になってきたのは、つい最近のような気がします。
頭では「誠実さ」を大切にしなければいけないと思っているのですが、生きることに誠実でなければ、それは単なる標語でしかありません。
それだけでも自己嫌悪におちいります。

しかし、言行一致という生き方は、なかなか難しい。
さまざまな不幸な事件が毎日のように報道されていますが、
そうした事件に対する「識者」のコメントなどに触れていると、
言行不一致どころか、自分のことを懺悔しているのではないかと思うような相手への攻撃に出会うことも少なくありません。

言葉とは恐ろしいもので、いつも発言者自身にも向かっているのです。
私も、心しなければいけません。
こんな生き方をしていると、彼岸であった時に、節子に叱られそうですね。

今日は少し懺悔した気分の多い日になりました。
諭す人がいなくなると、人は世界が見えなくなるものです。
伴侶は、そのための存在だったのかもしれません。
注意しなければいけません。
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佐藤さんのHPCWSコモンズの“リンク集”で、私のブログが最後に載っているのですが、
「この定位置を変えないでください」とお願いしてあります。
リンク集では一番目の作家の一条真也さんと、終わりから一番の私が知り合いになれたのです。

卒業50年後の中学の同窓会で、当時の担任がおっしゃいました。
「アンタは出席簿が最後(3月生)だったので、決して忘れないよ」。

ラソンのアンカーでなくても、良いこともあるのですね。