我孫子の「リーチ先生」

地方紙7紙で連載中の原田マハ・作「リーチ先生」、
興味を持って読んでいます。

リーチは生涯の友となる柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と知り合いになり、
彼らの本拠であった我孫子にて版画指導を行った。
中国から戻った1917年、我孫子の柳の家に窯を開いて陶芸家としての一歩を踏み出した・・・
このあたりが現在進行中なのです。

・・・・・
「いよいよ柳宗悦のお膝元で、
バーナード・リーチが新作陶芸に挑むってわけだな」
武者小路実篤がわくわくした調子で言うと、
「君のやっていることを見て、若い陶芸家たちが手賀沼にどんどん移り住むようになれば、にぎやかになっていいだろうな」
志賀直哉が楽しげに言った。
「そうだな。私も、この周辺に、もっと芸術家が集まれば、それはもう、
大きなうねりを作れるってもんだ」
柳宗悦がそう言った。

仲間を束ねて動かすのが得意な柳は、おそらく「白樺」を立ち上げたときも、
こんな調子で盛り上げていったのだろうな、と亀之助は話を聞きながら思った。
「ときに、最近、富本憲吉はどうしているんだ?」
ふいに思い出したように、柳がリーチに尋ねた。
・・・・・                  (北国新聞2015年1月24日)

我孫子”や“手賀沼”はブログで交流のある佐藤さんの住んでいられるところなので、
いっそう親しみがわいてくるのです。
郁ちゃんが会わせてくれたのでしたね。

鈴木大拙と柳宗悦で書いたように、鈴木大拙館と日本民藝館が交流協定をしていて、
関心があります。