オーストラリアに愛されて

地元の友人はこう言います。
「もともと郁ちゃんはずっと海外にいたから、
今でも旅に出ていて、ひょっこり帰ってくると思っているよ」

旅行好きなあなたのことがありありと思い出されてきます。

シドニー オペラハウス      

社会人の第一歩は金沢の旅行会社でした。
それにしてもなんと忙しい仕事でしょう。

海外旅行の出発前には準備のため、夜の一時二時になることも珍しくなく、
「お父さん、今から迎えに来て!」
「オーストラリアへ一週間の添乗。明日の朝、三時に送ってね」
いつも、突然言い出すのでした。
あなたにとっての海外は、私の国内と変わりなくて、
旅が大好きの父は、送り迎えで旅行気分が味わえるらしく、嬉々としていたものです。

「身体が疲れるのによくやれるね」というと、
「〝あなたのおかげで楽しかったよ〟と言われると、仕事の疲れがいっぺんに吹き飛んで元気がでるの」
それがあなたの答えでした。

それにしてもこのオーストラリア旅行、
新卒女子が40人を一人でまとめられるか、
ツアー客は内心不安だったはずです。でも、
「“楽しかった”と、お客様には絶対に満足してもらう」、があなたの信条。

「とても面倒な客が一人いて、大変だったね。
でも、あなたのおかげで楽しく旅行出来たよ」
旅行後には、ツアー客による『郁代さんに感謝する会』が持たれたのでした。
それは20年程前のこと、そのような交流は今ではちょっと考えられないことですね。

その後八年間働いたシドニーから、病気のため帰国、
亡くなる前夜も、旅の話題でした。

「あなたにあえてよかった」に、こんな場面があります。

・・・・・
夕方、仕事を終えた家族が揃った。
緊急入院だったので、一時的に特別室が用意されたため、「広いね!」「ホテルみたいね!」と、三ツ星レストラン、四ツ星ホテルの話題で盛り上がった。
旅行会社にいたことがある郁代が、急にいきいきしてきた。
「家族旅行でホテルに泊まっているみたいね」
郁代の次に旅行好きの夫がそういった。

その時、郁代が突然言った。
「これからみんなで食事しよう!」
食べ物の摂れない郁代の前で食べられるはずがなく、
家族揃っての食事会は、いつの頃からか途絶えていた。
うどんなら…、おそばなら…、と出掛けても、
「私の分は注文しないでいいよ。お母さんの分を少し食べればいいから」。
四月の頃からそんなふうだった。
このころ、話題が「食べ物」にふれることさえはばかられていた。

お兄ちゃんが、近くの弁当屋から調達してきた豪華メニュー。
押し寿司、いなりずし、サンドイッチ…。
郁代の前で食事をすることは辛いことだったが、「やめておこう」とは言いだせなかった。
心の中で泣きながら、私たち家族はおいしそうに食べた。
「みんなで食事したい」という、郁代の願いを叶えてあげたいと皆が思っていた。
「はじめての病院食、どんな味付けか、わたしも食べてみるわ」
五分がゆ、煮物、煮魚、おつゆ、フルーツ…。ほんの少しずつ味見をしては、口から出し、郁代は、
「ここの食事、すごく味付けがいいわ」とうれしそうに言った。
賑やかな夕食だった」
・・・・・

翌朝、力尽き亡くなったのでした。                    

郁ちゃん、
明日は旅好きなあなたへ“ビッグニュース”を届けます。