『歎異抄』を書き写す

私が悪かった で、
歎異抄第一条」 
     弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
     往生をばとぐるなりと信じて
     念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、
     すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり
に出会ったことを書いたすぐ後に、このような本が届きました。

親鸞聖人の教え『歎異抄』を書き写す〜

致知」という月刊誌の購読期限が切れた場合、
再継続した人に送られてくる記念品だそうです。
手元において書き写すと、毎日「歎異抄」を読み直すことが出来るのです。

致知」には以前、山元加津子さん(かっこちゃん)が、
特別支援学校で出会った子供たちのことを連載されていました。
また、村上和雄さん(現筑波大学名誉教授)が毎号担当のインタビュー記事にも、ゲスト出演されています。
他にも鈴木秀子さん連載のエッセイも毎回心に沁みます。

間もなくして、今度は仏教ブログを届けてくださる全休さんが
歎異抄を新しく読み返しています。
なるべく真宗用語を使わず、引用も控えて、
わたしの言葉で書こうとしています。」
と書かれていました。

最近の  
抜苦与楽 を引用させて頂きます。
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生まれたことが苦なら、生きることも老いることもまた苦である。
誰しも最後は病を得て苦しみながら死ぬので、これまた苦であるから、四苦という。

 なぜ苦しむのかと悩むことはない。生まれたことが苦である。
親や他人、社会が悪いのではなく、生まれたらみな苦を受ける。
苦から逃れることはできない。

 親や他人、社会から苦を受けるが、苦を与えたその人もまた苦を受けている。
あなたも人に苦を与えて苦しむ。
それが生きるということだ。
 
 人に生まれたから苦を受ける。
苦からは誰も逃れることはできない。
だから、苦を受け入れなくてはならない。
苦を拒めば、拒んだことでまた苦を受ける。

 かように仏教が苦を説くのは苦を除く処方箋があるからです。
抜苦与楽といって、苦を和らげ安楽の境地を与える、それがご信心、仏の救いです。

 南無阿弥陀仏
・・・・・

全休さん 有難うございます。
これからもよろしくお願いします。