〜棟方志功の還相廻向〜
金沢城から望む金沢市と南砺市にまたがる医王山 標高939m
朝夕、私の家からも眺められます。
ここは「蓮如上人ゆかりのお寺」で、38豪雪の時、縁あって私が下宿させて頂きました。
あの時の住職ご夫妻と棟方志功がお会いしたのですね。
10歳だった息子さんの現住職とはいまも交流があります。
わたしも歩いたことがある「砂子坂」、
ここでの棟方志功の逸話は有名で、以前どこかでお聞きしたことがあります。
その時のおばあさんとの情景がありありと浮かんできて、
講演の中で一番楽しく心に残りました。
昨日に続き4回目です。
高坂貫昭、石黒連州、道宗静夫、吉田龍像、太田利雄など、城端別院を舞台に棟方と触れ合った住職らは、いずれも棟方を芸術家としてだけでなく、
仏法聴聞の先輩として接していた。
そんな住職らの間に伝わったある逸話を紹介したい。
あり時、棟方が二俣(金沢市二俣町。和紙生産で知られる)に板画用の紙を買いに行くことになった。
それで三人の坊さんが御旧跡参りをしようとついて行った。
蓮如ゆかりの本泉寺にお参りし、砂子坂の城端別院発祥地で弁当を食べているところに、一人の老婆が鉢に山菜の漬物などを盛って坂道を登ってきた。
そして、
「自分は長い間仏法を聞いてきたが、どうしてもわからないことが一つある。
お坊さんが三人もこの山里にお越しになることはめったにないことなので、
よい機会だからそれを質問したい」
というのである。
三人のお坊さんは自信満々で「何でも聞きなさい」といった。
そこで老婆は訪ねた。
「発願回向(ほつがんえこう)とは何ですか」
三人はたじろいでしまった。
老婆は言葉の辞書的な解説ではなく、
阿弥陀如来の発願回向そのものを問うていたのである。
とてもおいそれと答えられることではない。
三人はとうとう譲り合いをはじめた。
すると棟方が草の上をころげまわって嘆いた。
「何たる情けないことか。砺波を代表する坊さんがそろいもそろって、
こんな肝心なことで蓮如様の御旧跡で立ち往生するとは」。
そして棟方はガバと起き上がり、
「不肖、この棟方が答えさしてもらって、いいですか」
と言い出した。
三人はどうぞ、どうぞとすすめる。
すると老婆の手をとった棟方は
「あんたが今問うたことが、発願回向です」と言った。
ぽかんとした老婆はやがて顔を輝かせ、
「どなたさまか知りませんが、おかげで永年の胸のつっかえがとれました」
と礼を言って頭を下げ、足どり軽く坂を下って行った。
その時居合わせた三人の坊さんは
「あの時は棟方に一本とられた」
と後々まで語り草にしたという。
(高坂貫昭・太田利雄の回想を筆者聞書)
棟方が曽我量深の短冊で宿業と本能の関係に気づいてより、
棟方はあきらかに一つの境地に到達し、
人を感化する力を身につけていたことを示す逸話であろうと、
太田さんは話されたのでした。 (了)
1、南砺に根付く「土徳」
2、棟方の制作態度