棟方志功の往相回向

川辺の木陰を歩くと、さわやかな風が吹き夏でも涼しい。

外国人の母子。御主人は留学生のようです。
「感応道交」と聞こえてきました。

昨日に続き3回目です。

棟方志功の念仏体験」
               太田浩史師     
 〜棟方志功往相回向

棟方の仏法仲間に吉田龍象がいた。
同年輩なのでとても気があった。
龍象はお寺の息子ではなかったが、大谷大学を出て福光駅のそばに「白道舎」なる聞法道場を構え、そこが良質な仏教サロンになっていた。
寺院住職ばかりでなく市民の布教者が活躍するのが真宗教団の大きな強みである。
以下は、吉田龍象師の回想を太田が聞いたものである。

 ある日、棟方がやってきて玄関を上がったところ、柱に掛けてあった短冊にくぎ付けになった。
それには曽我量深の筆で「宿業者是本能、即是感応道交」と書いてあった。
やがて棟方は「うわぁ!」と叫んで倒れ、そこいらじゅうをころげまわって、「ついにやった」「ついにやった」「これだ」「これだ」とわめいていた。
そして立ち上がり、「絵の道具、とってくる」と言って自転車で飛んで行った。
しばらくして戻ってきた棟方は、二階の法話室に駆け上がってふすま四枚全部引き倒し、春夏秋冬の観音四体を描き、
わしらに墨をたっぷりすらせて筆をたばね、ふすまを裏返して
「宿業者是本能 即是感応道交」
と太々と書き上げた。
それこそ、アッ、という間のできごとだった。

またある日、法話におとずれた曽我先生がふすまをご覧になって、
「いったい、これはどうしたんだね」と尋ねられた。
「棟方の落書きですよ」と答えると、
「ふーん」とうなってながめておられた。

しばらくして大谷大学清沢満之先生生誕百年の記念講演会がおこなわれ、
鈴木大拙先生がまず演壇に立たれ、
「清沢先生は今も生きておられる」という話をなされた。

そのあと曽我先生が演壇に立たれて、
「先ほど鈴木先生が、清沢先生は生きておられるということをおっしゃられたが、清沢先生はどこに生きておられるか? 
それは宿業のなかに生きておられる。
「宿業者是本能、即是感応道交」は私が感得した言葉である。
私はこの心を何とかわかってもらいたいと思い、全国をめぐってお話ししたが、残念ながら大谷派にはわかってくれる人がいなかった。

たった一人例外があって、棟方志功という画伯が、この言葉の真意をまっすぐに受け止めてくれた。
富山県福光町の白道舎の二階の落書きにその証拠がある」
と話された。                 
                      (吉田龍象談 太田聞書)

講演会当日太田さんが配られた写真二枚

白道舎の二階の“棟方志功の落書き”の前で吉田龍象師

太田さんのお寺の引き出しから出てきた棟方志功の板画
「宿業者是本能、即是感応道交」

右が人、左に仏、「機法一体」では・・・と太田さんはおっしゃった。

南無阿弥陀仏の名号を通って如来さまの命が私の命へ流れると共に、
私の命が如来さまの命へ流れ、そこに命の交流が生まれます。
仏さまと私との間にこの感応道交が生まれることが信心なのですね。

※感応道交 [ 広辞苑 ]                     
仏と人、また教えるものと教えられるものとの気持ちが通いあうこと。
衆生の機応と仏の応化とが相通じて融合すること。

1、南砺に根付く「土徳」
 
2、棟方の制作態度