棟方の制作態度

セグロセキレイ幼鳥 浅野川

「こっちへおいで!」とお母さん 少し離れて見守ります。

昨日に続きます。
太田浩史師は
棟方志功の念仏体験」としてまとめられた小冊子を参加者に配り、
その中の文章を引用しながらご自身のお話を続けられました。

      〜棟方の制作態度〜

昭和39年(1964)、62歳になって書いた『板極道』で、
創作における真宗の教えとの出会いを書いている。

戦のうち(福光町における約7年間の疎開生活)、
真宗の在り方・・・他力の世界というものを非常にいただきました。
いままでの自分が持っている、一つの自力の世界、
自分というものは、自分の力で仕事をするというようなことから、
いや、自分というものは小さいことだ。
自分というものは、なんという無力のものか、
なんでもないほどの小さいものだという在り方、
自分から物が生れたほど小さいものはない、そういうようなことを、
この真宗の教律から教わったような気がします。
                     (『板極道』252〜253)

太田さんは民芸運動の先輩から聞いた棟方のエピソードとして、
二つ紹介されました。

一つ目は、
棟方が頼まれた絵を仕上げて依頼主に収める時、
自分の頭より上に捧げて持っていったという話。
その理由をたずねられると、
「この絵は自分が描いたものではなく、自分以上のものが描いた。
だから自分より偉いのだ」
と答えたそうです。

もう一つは、
友人の写真家土門拳
「俺のシャッターより速い」
と舌を巻いたように、棟方の制作ぶりは、筆にしても彫刻刀にしても無類に速い。
一人の記者が
「他の絵描きは何か月もかかって一枚の絵を仕上げるのに、
あなたはサラリーマンの初任給より高い絵を、またたくまに何枚も描いてしまう。
それはちょっと無責任じゃないですか」
とぶしつけに問うたとき、棟方はすぐさま直立不動になって、
「不肖、この棟方は、こんなちっぽけな棟方に責任をとれるような、
ちっぽけな絵は描いておりません。」
と言ったという話でした。


福光疎開中の書画が、太田さんのお寺、大福寺にも無造作に置かれていたそうです。
上り込んだ他人の家の襖にも、思い立ったらさっと書や絵を描く。
「あれは棟方の落書きですよ」
と当時の村人は“被害者意識”を持ち、迷惑がったのだと言います。

講演会当日太田さんが持ってこられた棟方志功の作品。



「我建超世願 必至無上道」は三誓偈の冒頭で、
仏説無量寿経に書かれている偈文ですね。

1、南砺に根付く「土徳」