南砺に根付く「土徳」

この季節、どこを歩いても“生まれたて”に出会います。

かるがもの赤ちゃん

富山県南砺市を歩いていると、さまざまな場所で柳宗悦濱田庄司河井寛次郎バーナード・リーチという民藝運動をリードした作家の名前が聞こえてきます。
そして、実際それらの作品にも出合います。
なぜなら彼らと親交のあった版画家(本人は”板画”という)
棟方志功がかつて南砺に長く滞在し、みんな彼のもとを訪ねていたからです。

南砺市福光にある光徳寺の第18代住職、故・高坂貫昭さんは、
1910年に創刊された雑誌『白樺』に寄稿された柳宗悦の文章を読み、
とても感動し、民藝の精神に傾倒していきました。
やがて民藝運動の作家を通じて棟方志功とも交流を深めるようになり、
棟方志功は福光の地に何度も足を運ぶようになりました。
その後、戦時中の疎開地として、棟方一家は福光を選ぶことになります。

福光は医王山の里山でつながって金沢市に隣接、
私の家からは車で20分の近さです。
高台にある光徳寺は、民藝の作品をはじめ、世界各国の工芸品がコレクションされていて何度か見せていただきました。

棟方志功の約7年間にわたる疎開時代の制作活動、それもまだ無名に近い頃の棟方志功にこだわって建てられたのが福光美術館です。

先日、城端町(現南砺市)大福寺住職 太田浩史師の講演をお聞きしました。
以下、何回かに分けて抜粋したいと思います。

棟方志功の念仏体験」
               太田浩史     
   〜南砺に根付く精神文化「土徳」について〜                

戦時中の棟方の作品の変化に驚いたのが、民藝運動をリードしていた柳宗悦
柳にとって、それまでは荒々しくも我執の強い作風だった棟方の絵から、
我による濁りが消えたと感じた。

作風の変化に強い影響を及ぼしたのは、
福光に何百年も受け継がれている風土や空気であると考え、
柳宗悦はそれを”土徳”と呼んだ。
柳の造語であるが、浄土真宗の”他力本願”という思想とも深く共鳴する。

南砺にはこうした信仰風土・精神風土が、歴史的に根付いていた。
その根底には、浄土真宗への篤い信仰心によって育まれた土地柄があった。
何十世代にもわたって積み重ねられた念仏の暮らしが
目に見えぬ土地の風土や力となる。
そうした棟方志功の心を開いたものを、柳宗悦は土徳と名付けたのだ。

棟方志功は前住職の父親とも交流があり自分もお会いしたことがある。
有名になったことで画業ばかりが注目されるが、
「念仏の人」という面で話したい。