「お母さん、もう いいんだよ」

私と同じように息子さんを病気で亡くされた友人が、七転八倒の苦しみを訴えてきます。
わが子を亡くした悲しみ以上に、
その間に起きた家族の人間関係のことで「許せない」気持ちにもがいているのです。

息子夫婦の関係が冷え込んでいた時に息子さんが重病になった。
残された大切な日々にも、葬儀の前後にも、
妻の態度は冷たく、許せないものだった・・・と。

その苦しみがご縁となって、今ではお寺の聞法会によく出かけられています。
許せない自分と向き合う尊い姿に、こころ打たれます。
「この苦しみあればこそ、仏縁をいただいた。
それはとても有り難いこと・・・」
「でも、許せない・・・
そんな自分を、そのまま抱きかかえていきます」
とおっしゃいます。

郁ちゃん、あなたはがんになった自分を許し、
最初の診断が「胃潰瘍」だったために3カ月も発見が遅れたことも、
許したのですね。

欠点だらけのこんな母を許し、
自分の思い通りには看護してもらえなかっただろうに、
「生んでくれてありがとう」
「お母さんの子どもでよかった」
といってくれました。

臨終の時、早朝だからと、入院先の医師が長時間来てくれなかったこと、
「許せない思い」を抱えながらも「許そう」と思えたのは、
あなたの「お母さん、もう いいんだよ」の声が、
いつも聞こえてきたからでした。

郁ちゃん、あなたはなぜ許せたの? 

「人は死ぬ。
どう生きても死ぬ。
だとしたら、
この短い人生で人を恨んだり憎んだりしているような暇はないんだよ」

「お母さん、もう いいんだよ。
許されていたのは私だったんだもの」

愚痴っぽい母に、
諸仏となったあなたは、今も呼びかけてくださいます。