夜半に嵐の吹かぬものかは

東別院が会場の夏季仏教公開講座「聞」
昨夜は祖父江佳乃さんでした。
節談説教で有名な祖父江省念師、
前半はその祖父母のもとで育てられた頃のエピソードです。

「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光(しょうしきしょうこう・おうしきおうこう・しゃくしきしゃっこう・びゃくしきびゃっこう)」(「仏説阿弥陀経」)、
阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のこと。

「青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、
赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」
という言葉は、私たち一人一人が、すでに、それぞれの色を持ち、光輝いているということについてお話くださいました。

後半は、幼少の親鸞比叡山に入山されるときのエピソードが語られました。

 「明日ありと思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」 

  これは親鸞聖人の幼少期、9歳で出家得度して比叡山に入山されるとき、
桜が満開の季節に青蓮院というお寺で得度を受けることになり、
遅く寺に着いたので、得度式は明日にしようとなったときに読んだ歌といわれています。

 「明日ありと思う心のあだ桜」
明日を待っていると夜中に嵐が吹いて、桜が散ってしまうかもしれない、
この世は無常だから、明日があるという保障はどこにも無いですよ、という意味です。 

高座での熱い語りに、満堂の聴衆は引き込まれて聞き入りました。

別の場所での法話を聞くことができます。

 親鸞聖人は、今から840年ほど前、平安時代末期の1173(承安3)年、京都の日野で誕生されたといいます。
平安貴族の時代から鎌倉武士の時代へと、権力が移り変わる動乱の時代です。
世の中は、源平の合戦、大飢饉、疫病蔓延、大地震、火災など勃発してすさまじい乱れようでした。

 京都市内だけでも死者4万人を超えたといわれます。
鴨長明はその様子を「方丈記」に、
「築地のつら 道のほとりに 飢え死ぬるもののたぐい 数も知らず。 
取り捨つるわざも知らねば くさき香世界に満ち満ちて 変わりゆくかたちありさま 目も当てられぬ事多かり。 
いわんや 河原などには 馬・車の行き交う道だになし」
と書いています。
 
 満9歳で比叡山延暦寺での生活が始まりました。
その後20年間にわたって、仏教を学ぶには最も相応しい最高の環境の比叡山で、厳しく真剣に、もの凄い努力をされました。