サラシナショウマ 上高地にて
〈折々のことば〉 150 鷲田清一
緑児(みどりご)は言わば無意識の記録掛りでありました。
柳田国男
ことばはいつも「活気と新鮮味」を求めて刷新される。
そのとき、幼子の思いもよらぬ表現に、逆に大人たちがかぶれ、
ことばの命をつなぐということも珍しくない。
「我々の家庭に小児がおらぬと淋(さび)しいように、子供の言葉が交っていなかったら国語はあるいはもう少し几帳面(きちょうめん)な愛敬の乏しいものになっていたかも知れません」
と民俗学者は言う。
「小さき者の声」から (2015・9・1)