感謝の旅

玄関の萩黄葉

郁ちゃん    あなたが大学病院で手術をした時の主治医である、
今は亡き磨伊先生が以前、新聞にあなたに関する記事を書いてくださったこと、思い出しています。

入院中は毎朝必ず病室を見回ってくださいましたね。
定年退官後はオーストラリアをご夫婦で訪れ、
あなたが旅案内をすると先生と約束したのでしたが、果たせませんでした。

「忘れ得ぬ患者」 
    命尽きるまで前向きだった
                 葛藤乗り越え感謝の旅
                                磨伊正義
 
長年外科医をしていると、忘れ得ぬ患者は少なくない。
私が金大を退官する直前、二〇〇四年三月に金大付属病院に入院した大浦郁代さんもその一人である。

―異国の地で告知―
 オーストラリアへ渡り、シドニーの保険会社に勤めて有意義な日々を過ごしていた大浦さん。
帰国時に胃の痛みから訪れた金沢市内の病院で胃潰瘍と診断されたが、シドニーの病院で再検査し、がんを告知された。
母親の静子さんは、異国の地で告知を受けた娘のショックはどれほど大きかったことだろう、と述懐されている。
 オーストラリアの医師の薦めで、金沢で手術となった。
私にとっては金大在職中の最後の手術である。
これまでのすべてを生かすつもりで臨んだ。
 術前の予想通り、早期胃がんに近い進行度。
リンパ節転移が数ヵ所見られた。
手術から一ヵ月後に退院し、万に一つの再発も考え、抗がん剤を持ってシドニーの職場に復帰した。
 ところがその年の十月に再発。大浦さんから連絡を受けたご両親が私のもとへ来られて、詳細を知った。
進行度の割にはあまりにも早い再発で、にわかには信じがたかった。
 金大で治療を受けることが決まり、大浦さんは既に金大を退職した私を訪ねてこられた。

―免疫療法に希望つなぐ―
 大浦さんは見事だった。
進行がんの末期であることをはっきりと自覚しながら、インターネットで知った免疫療法に希望をつなぎ、世話になった人への感謝の旅をしてくると私に話した。
がん患者の症状が徐々に悪化していくときに、医師がすべきことは、医学的にできるだけ手を尽くすと同時に、精神的な支えとなることである。
既に主治医という立場を離れた私ができることは、金沢で免疫療法を実施する土屋晴生医師を紹介したことと、大浦さんの話を聞くことであった。
 弱音をはくこともなく、治療にも協力的だった大浦さんだが、病には勝てなかった。
三十四歳の若さだった。
 母の静子さんは、宝物である娘を失って悲嘆にくれながらも、
その闘病記を「あなたにあえてよかった」(北國新聞社発行)という本にまとめた。
この本を読んで私は、いつも明るく前向きだった大浦さんの胸の内を知った。
大変な葛藤を乗り越え、命尽きるまで有意義に生きた大浦さん。
彼女なら「千の風」になって、大空を飛び回っていても不思議ではない。
                    (北國新聞2007・6・4)

郁代と磨伊先生はとても仲良しで、
いつも冗談を言って笑いあっていたこと、思い出します。
大変お世話になり、有難うございました。

記事を読まれたり、本を読まれた方がお手紙を下さったり、
「家族の病気のことで相談したいことがあるので・・・」と
県外から訪ねて来られたりしました。

津幡町 Tさんから 

前略  先日の北國新聞「がん最前線」磨伊医師の記事で
「あなたにあえてよかった」の本を知りました。
一日で読み終え、二日目も再読しましたが、涙がとまりませんでした。
郁代さんはほんとう「千の風」になり吹きわたっているに違いありませんよね。本当に!     
心よりご冥福をお祈りします。
追伸 思わずペンを取ってしまいました。
乱筆にて失礼致します。            (2007・6・8)