“無名塾”と「能登演劇堂」

仲代達矢さん 文化勲章受章おめでとうございます。
これまでに、「能登演劇堂」の記事は10回以上このブログで書いています。

受章後の会見でも、仲代さんは
中島町(現・七尾市)との三十年間の交流、
能登演劇堂での毎年の公演も含めての受章だと思っている」
「今後も能登発の芝居をつくっていきたい」
能登演劇堂は演劇専門ホールとして日本一、
もしかすると世界一かもしれません」
と語っておられます。

「能登演劇堂」は、
無名塾が1985年から毎年石川県中島町(現・七尾市)で合宿していたことが縁で、
1995年に開館しました。
中島町は私の故郷で、演劇堂は実家から車で10分のところにあるのですが、
無名塾”のみなさんを「家族同然」といわれる町民も多くいられます。
合宿は民家に分散し、毎年同じ家で同じ方を受け入れていたからです。
今はホテル「万葉倶楽部」などが劇団員の宿舎となっているようですね。

中学から大学までの同級生、宮田やっちゃんもその一人で、
最初の頃は「山本圭」の受け入れ先でした。
小学校の校長をして退職したこの町の名士であり情熱の人、
能登演劇堂」の運営理事をされています。
『マクベス』(2009年)ロングラン公演では、
マクベス夫人の若村麻由美さんが自宅別棟に常宿したんよ。
付き人、専属栄養士の3人で・・・」
という熱の入りようなのです。

大学の同窓会では以前、
「『ロミオとジュリエット』観劇とセットで、来年は和倉温泉でやりたい」
と同窓会を“予定より一年早めてまで”幹事になることを提案し了解されました。
その四年前はやはり無名塾公演『ドン・キホーテ』とのセットで、会場が和倉温泉でした。

中学校、高校の場合は地元なので、
能登演劇堂の観劇とセット」の同窓会は当たり前になっているのです。

仲代達矢さん監修「能登演劇堂」

このホールの最大の特徴は、舞台正面奥の大扉が観音開き(日本唯一)になり、
開放すると外の自然風景を借景とする大掛りな仕掛け。
マクベス」(2009年)の合戦の場面では、外から本物の馬が走りこみ、
有名な森が動く場面では、
約100人の市民が木を持ちエキストラ出演したのです。

能登演劇堂」がなぜ中島町かは、
「東京で生まれ育った私は仕事の関係上、
全国行かない所がないほど全部まわりました。
あと石川県だけ行ってないなあと妻と家族旅行で訪れ、
魅せられてしまったのです。」
と語っておられます。
以来三十年以上中島町(現七尾市)との交流を重ねています。