決めないままの安心 1


9月に金沢東別院にて水島見一師の講演をお聞きしました。
「この頃やっと、高光大船は私の師です、といえるようになりました」
と、その時おっしゃいました。

今回は、ラジオ番組の対談を親しく読ませていただきました。
「加賀の三羽烏」のおひとり高光大船師は、水島見一師の母方の祖父にあたります。     

     決めないままの安心―高光大船師のまなざし
           
              大谷大学教授  水島見一 (1950年富山県に生まれる)
                 ききて    金光寿郎

ナレーター:  「宗教の時間」です。
今日は、「決めないままの安心」というテーマで、仏の教えを忠実に実行することによって、
多くの人々に感銘を与え、昭和二十六年、七十二歳で亡くなった高光大船師の信心について、大谷大学教授水島見一さんにお話頂きます。
聞き手は金光寿郎ディレクターです。

金光:  今日、水島先生のご本を拝見しまして、仏教の信心について書いていらっしゃる。
それも高光大船という大先輩のことを中心に書いていらっしゃる本ですが、その終わりのところにですね、「日頃から〝決めるな、決めるな〟とおっしゃっていた」と。
しかもその言葉の後に、息子さんの高光一也先生が、
「何やろなあ」と書いていらっしゃる。
これも面白いと思うんで、そういう軸が残っているそうですが、その言葉が、私なんかが考えている「信心」というのは、「信仰だと、この教えは間違いないんだ」と、こういうふうに決まったから信じられるんじゃないか、という思いがどっかにあるんですが、どうもそれとは様子が違うようなので、その辺の消息を伺いたいと思っているわけですが、
水島先生は、この言葉、その周辺のことは、どういうふうに感じていらっしゃいますか?  

水島:  そうですね。「きめるな、きめるな、何やろなあ」ということは、これは自分の生活に当て嵌めますと、やはりすぐに「人をこうだ」とか、「社会はこうだ」とかという形で決めるんですけども、しかしそれが実際の現実にあってみたら、それ全部違っていると。
こういうことはよく体験しますので、その意味において、やはり「決めるな、決めるな」と、
こういうことは、非常に大きな世界が、そこに開かれるんだな、ということがよく実感することでございます。

そしてまた信心というものは、何か確信を得ると。自分の中にはっきりしたものをもつんだと。このように思いがちなんですけれども、ところが高光大船の最期の亡くなる時に、病床に赴いた方が、大船の姿を見ていた。
黙って横たわっている姿を見ていて、そしてそこでの感じたことは、
「大船先生は黙って横たわっておられると。そして最期は私の仏法までも取ってくださる」と。要するに私たちは、信念は確信だと、こういう形でしっかりと得るもんだ、と思うんですけども、実際にそういうものであろうということも思いますけれも、
しかしその一旦仏法をわかったというその掴んだものをもう一回離すという。

そうしたら裸一貫で生まれて、最期は裸一貫で死んでいけると。
仏法など全部取ってしまって、裸一貫で死んでいける身となるんだという。
こういうところに本当の信心の醍醐味というか、姿があるんだろうな、ということを思わせるわけでありますね。
(つづく)