決めないままの安心 2

     決めないままの安心―高光大船師のまなざし
           
              大谷大学教授  水島見一 (1950年富山県に生まれる)
                 ききて    金光寿郎

金光:  私は、大船先生の息子さんの一也先生の奥様であるかちよさんに何回かお話を伺っているわけですが、あのかちよさんの話を聞いていますと、
あの方もいろんな方が大船先生、あるいは一也先生の話を聞いて、
自分の問題を解決したと思った方が、留守番をなさっているかちよさんのところへ来て、
自分のいろんな悩みの解決なんかを吐露される。

それをなんとか受けてお答えができるようになりたいというところで、
仏法を随分熱心にお聞きになったようですが、
「この世は荘厳(しようごん)されているんだ」
という話を講習会で聞かれて、その時にハッと、

「なんだ。自分はもうちゃんとできあがった仏様の世界に生まれているんだ」

ということに気付いた途端に、世の中を見る目が変わって、
「この与えられているものを如何に上手に利用して生きていけばいいか」
という、そういう生き方に目が覚めたと。

簡単にいうと、そういう印象を受けているんですが、それでいながら、
「具体的にじゃどういうことですか?」ということを、その状況を伺うと、
「いわば忍者のように状況が変わったら、パッとこちらも姿を変えればいいと。
ひらりひらりとこう変えるだけの能力を私たちは与えられているではありませんか」と。
しかも具体的な例をいっぱいお持ちになってですね、そうなってくると、
この世の中がつまらんとか、もう行き止まりだとかというようなとこはまったくなくなって、

なんという自然世界、あるいは仏様の世界というのは、豊かなものか

というふうに見ることができていらっっしゃるなという実感を受けたんですが、
今の水島先生のお話から受ける大船先生、
あるいはその同じところで息子さんの一也先生も生きていらっしゃったようですけれども、
その辺の生き方というのは、窮屈な生き方という点から見たら、どうなんでしょう?  

水島:  そうけっこう難しいことがございまして、例えば「国土荘厳されたる」と。
これはそういうことだろうと思いますけれども、
高光大船という方は、真っ正直に生活に生きてこられた方でありまして、
だからその都度その都度失敗し、
そしてまた想像つかないほどの多くの子どもを亡くされ、死にも遭い、
また門徒の死にも遭い、
そしてもっと大きなのは最愛の自分のお嫁さんですね―最初の奥さんでございますけれども―とも別れ、初孫とも別れ、
そういうような一つの苦渋を通ってきたところにおいて、
自我が解放されるという、その一面がなければ―

だから自分の思いというものは全部間に合わなかったんだという、
そのような一つの行き詰まりの経験がなければ、国土荘厳というのは、これ一つの、いわゆる言うなれば、お浄土の世界とこう言ってもいいのかも知れませんけども、
お浄土の世界にはなかなか感じ取れないと言いますか、
だからやっぱり我々はやっていることは国土荘厳なんだけども、
現実はなかなかそうはいかない、そういう娑婆に生きていると。

しかしその娑婆に生きながらも、しかしやっぱり行き詰まりの中において、
聴聞ということにおいて、そこから現に解放されつつあると。
この解放されつつあるという一点において、国土荘厳が感じられるんだろうということを思いますので、だから変幻自在にそれに対応していくと、順応していく力は実は与えられるということはそうでありますけれども、
その前の歩みと言いますか、それからまたそれを得た後も、また行き詰まります。

だから螺旋形に我々の信心は動きますので、こうした螺旋の頂点に立つんだけども、
その時国土荘厳だと思うかも知れませんけども、それはまた日々の生活にこうして埋もれてくると。

そこのところにおいて、また聞法というのが続きますので、
死にまでの聞法ですから、その聞法にまたここにおいて、
一つの国土荘厳の世界が聞かされてくるという、
なんか最後は循環の歩むような気がしまして、
国土荘厳が一つの永遠にそれが私の心境として、永遠に具体的に続くというんじゃなくて、
具体的にはやはり沈む、悩む、ということがあって、
また解放されてですね、
その最後の悩みがやはり我々は、死に向き合った時、
お前は死んでいけるのかという、
そういうところにおいて、そこにおいて国土荘厳されたると。

だから私の父親のなんかは、死ぬ時は―私の十歳の時に死んだんですけども―病床において言った言葉が、

「私の人生は如来によって芝居させられていたんだな」

と言って死んだ、ということなんですけども、
それはまさに国土荘厳の姿であるし、死に随順にしていけるという、
まあそんなような姿だろうということが思われます。
                               (つづく)

 決めないままの安心 1