理不尽

ヒマラヤユキノシタ        花言葉は「忍耐」

「実は私もキレそうになるときがあるのですよ」
というお話をしたところ聴衆に大変喜ばれましたと、
渡辺和子さんもおっしゃっています。

ブログ友でもあるお知り合いのマミちゃん。
他人の苦しみ、悲しみにいつも寄り添っておられ、私にはとても真似出来ないような行動力のある方。
その方が「理不尽」な辛い思いをされたと書かれていました。
その時、ご主人が映画にさそってくれたとも・・・。
いつも素敵な憧れのご夫婦です。

かっこちゃんと同じで、魂の深いところで他人の哀しみをほっとけない人に、
周りの人がより重い荷物を担わせることはよくあることですね。

致知出版社発行「人間力メルマガ」では、これまでに何度も山元加津子さんの記事が配信されています。
月刊誌『致知』掲載文から、そのエッセンスの一部が紹介されるのです。

2011年2月3日では難病で亡くなった笹田雪絵ちゃんのこと
その中に「誕生日」があります。

 誕生日
 
 私、今日うまれたの。
 一分一秒の狂いもなく、今日誕生しました。
 少しでもずれていたら、今頃健康だったかもしれない。
 今の人生を送るには、一分一秒のくるいもなく
 生まれてこなければいけなかったの。
 結構これって難しいんだよ。
 一二月二八日、私の大好きで、大切で、しあわせな日。
 今日生まれてきて大成功!
「すのう」に生まれてきて、これもまた大成功!
                  ※すのう=雪絵ちゃんのペンネーム
 
その前の回、2011年2月1日の「人間力メルマガ」が

マザー・テレサは、なぜキレなかったのか?でした。

   インドを中心に、貧しい人々に無償の愛を与え続けた
   「20世紀の聖女」マザー・テレサ
   本日は、同じ修道女として、また通訳として身近に接した
   渡辺和子さんのお話をご紹介します。
   
「キレそうなときに、キレないですませる方法」
   渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)        
  『致知』 2004年10月号「マザー・テレサから学んだもの」より

・・・・・
先日、私はある講演会で、
「実は私もキレそうになるときがあるのですよ」
というお話をしたところ、聴衆に大変喜ばれました。
修道者とはいえ、忙しいときの電話や思い通りにならないこと、
「どうして!」と、イライラすることがあるのです。
私はマザー(テレサ)から、キレそうなときに、
キレないですませる方法を教えていただきました。

あれは1984年11月に来日されたときのことでした。
岡山駅までお迎えにあがると、
辺りはテレビや雑誌の記者、一般の人で黒山の人だかりができていました。
マザーがお着きになると本当に文字通り「フラッシュの雨」が降ったのです。
その後、どこへ行っても、
「マザー、こっちを向いてください」「次はこちらを」
とびっくりするほどたくさんの写真を撮られて……。
異国の地での厳しい講演日程に加えて、
新幹線や車など慣れない乗り物での長距離の移動、
当時マザーは74歳でした。

肉体的にも精神的にもお疲れでしょうに、
マザーは嫌な顔ひとつせずにニコニコと、
本当にすてきな笑顔で応対していらっしゃったのです。
私は内心
「マザーはカメラ慣れをしていらっしゃるのかしら。
 それとも写真がお好きなのかしら」
と思っていましたが、口には出さずにおりました。

夜10時を回ったころだったでしょうか、
ようやくすべての予定を終了して修道院にご案内し、
二人で肩を並べて歩いていると、マザーがふと、

「シスター、私はフラッシュがひとつたかれるたびに、
 死にゆく魂が、神様のみもとに安らかに召されるように、
 神様と約束をしてあるのです」
とおっしゃったのです。

生きている間、いいことがちっともなくて、
神や人、世間を呪っていた人たちの魂が
「サンキュー」
と言って穏やかに、この世と和解して死んでいくために、
煩わしいけれど、疲れているけれど、笑顔をするんです、と。

その上、
「今日はまだ祈っていないから」
と、寒いチャペルでストーブもつけずに、
寝る前に一時間お祈りを捧げられました。
マザーは祈りを大切にした方でした。

私はそんなマザーの姿を拝見して、人には
「自分の心との葛藤」と
「自分と対話するゆとり」
が必要なのだと感じました。

日常の中には、マザーにとってのフラッシュのような
「煩わしいもの」や「イライラするもの」
「面倒くさいもの」が、必ず存在します。

そういうときにグッと我慢をして、
「これを我慢しますから、
 どうかあの人の病気が治りますように」
と他人を思いやったり、
「仕方がないよね」と許す「ゆとり」を自分の中につくる。
キレそうになる自分を抑えるための、
自分との小さな闘いが必要なのです。

逆に失敗したときは自己嫌悪に陥るのではなくて、
「今度はもうちょっと我慢しようね」と自分と話してみる。

マザーが「マザー・テレサ」で
あり続けることができたのは、
そういう自分自身との闘いと、ゆとりを
常に持ち続けていらしたからではないでしょうか。
・・・・・
                    (一度ブログに載せたことがあるので、再読できました)