大切なものは何か

いかに周囲に支えられていたか気づくこと


関西学院大准教授 藤井美和先生の「死生学特別講義」が、
朝日新聞に載っていました。


『どう死ぬかは、どう生きるかを考えることなのです。
いかに周囲に支えられていたか気づくことで、生き方は違ってきます』
とありました。


『本当に大切なものは何だったのか。何のために生きてきたのか』
を郁代も苦しんだ挙句、見つけていったのだと思います。


『魂の痛みに苦しむ中で、こころの支えになるのは、
自身を取り巻く「関係性」です。
周りの人や自分の信じるものにどれだけ支えられているかということです』
ここのところも、娘が語っているように聞こえました。


郁代は「時間の長さ」ではなく、
いのち輝かせて「本当に生きる」ことを選びました。
そうさせたのは郁代の力ではなく、
賜ったものとしての、「大いなる存在のはたらき」にほかなりません。


郁代は残された時間に国内30人、
国外30人の友人に会う「お別れの旅」を続けました。
発病前は、オーストラリアで働いていたのです。


郁代の最期の言葉は、
「会いたい人、みんなに会えてよかった。
あしたから、わたしだけの時間にして、静かに過ごすわ…。
これまで、お母さん、完璧やったわ。
必要なもの、必要なことが、いつも直ぐに用意されていたもの…」
でした。


自分を肯定し、自分を生かしてくれた世界を肯定した言葉に聞こえました。