仏壇に祈る父

エルサレム賞のスピーチで村上春樹が初めて父を語った1節です。

「私の父は昨年、90歳で死にました。父は引退した教師で、パートタイムの僧侶でした。京都の大学院生だったときに父は徴兵されて、中国の戦場に送られました。戦後生まれの子どもである私は、父が朝食前に家の小さな仏壇の前で、長く、深い思いを込めて読経する姿をよく見ました。
ある時、私は父になぜ祈るのかを尋ねました。戦場で死んだ人々のために祈っているのだと父は私に教えました。
父は、すべての死者のために、敵であろうと味方であろうと変わりなく祈っていました。
父が仏壇のに座して祈っている姿を見ているときに、私は父のまわりに死の影が漂っているのを感じたように思います。」


「父は死に、父は自分とともにその記憶を、私が決して知ることのできない記憶を持ち去りました。しかし、父のまわりにわだかまっていた死の存在は私の記憶にとどまっています。これは私が父について話すことのできるわずかな、そしてもっとも重要なことの一つです。」


「今日、皆さんにお伝えしたいことはたった一つしかありません。それは私たちは国籍も人種も宗教も超えた個としての人間だということです。そして、私たちはみな『システム』と呼ばれる堅牢な壁の前に立っている脆い卵です。どう見ても、勝ち目はありません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい。もし、私たちにわずかなりとも勝利の希望があるとしたら、それは自分自身と他者たちの命の完全な代替不能性を信じること、命と命を繋げるときに感じる暖かさを信じることのうちにしか見出せないでしょう。」


「少しだけそれについて考えてみてください。私たちはひとりひとり手に触れることのできる、生きた命を持っています。『システム』にはそういうものはありません。だから、私たちは『システム』が私たちを利用することを、『システム』がそれ自身の命を持つことを防がなければなりません。『システム』が私たちを作り出したのではなく、私たちが『システム』を作り出したのだからです。
これが私が言いたいことのすべてです。」



自分自身と他者たちの命の完全な代替不能性を信じること、命と命を繋げるときに感じる暖かさを信じること・・・

ここを読んだ時、
郁代の声無き声が私に聞こえてきたのでした。

胸がいっぱいになりました。