法然上人の目 (五)

法然上人の目(五)      親鸞  203    五木寛之


 「そのおつげのあったあとに、一人の女性(にょしょう)があらわれて、わたくしに告げたのです。吉水へ、おいでなさいませ、と」
「それでこの吉水へやってきたのか。
そしてきょうまで百日のあいだ、一日もかかさずわたしの話をきいておった」
「はい」
「そして達した結論が、わたしの説くところは、危ういと・・・」

「真実の言葉を語れば、かならず周囲の古い世界と摩擦をおこすものです。
できあがった体制や権威は、そんな新しい考えかたや言動に不安をおぼえることでしょう。
おそれながら、上人(しょうにん)さまの説かれることの一つ一つが鋭い矢のように彼らの胸につき刺さり、
肉をけずりとるように、これまでの仏法の権威を否定する教えです。
わが国の仏法は、異国から伝わってくる教えや知識を、必死でとり入れ、つけくわえ、つけくわえして大きく豊かに花開いた世界です。
ところが、上人さまは、それらの教えや、修行や、教説を一つ一つ捨てていこうとなさっておられます。
知識も捨てる。学問も捨てる。
難行苦行も、加持祈祷も、女人の穢れも、十悪五逆の悪の報いも、物忌みも、戒律も、なにもかも捨てさって、
あとにのこるただ一つのものが念仏である、
と説かれております。
これまでそのような厳しい道にふみこまれたかたは、だれ一人としておられません。

それが真実だからこそ危ういのです。
危うければこそ真実だと、わたくしは思いました。
ぜひ、この範宴を門弟の末席にくわえさせてくださいませ」


                       (新聞連載  3月28日)