法然上人の目 (十)

法然上人の目 (十)      親鸞  208   五木寛之 


「わたしは日々つねに念仏を口にとなえて暮らしておる。
その法然の念仏と、そなたがとなえる念仏とは、
はたしてちがうところがあるであろうか。
それとも同じ念仏として、変わるところがないのか。どうじゃ」

範宴はしばらく考えた。
「同じ念仏でございましょう。すこしも変わるところはないと思います」

「安楽芳は、この範宴の意見をどう思う?」
「とんでもない思いあがりでございます。反論する気もありません」
「我慢も、もうこれまでじゃ」
いきなりとびかかった蓮空の拳が、固い石のように範宴の顔を連打した。

「やめよ、蓮空」法然の声が厳しくひびいた。

さきほどまでのおだやかな声とはまったくちがう、戦場の武者頭のような野太い声だった。

「わたしの念仏も、範宴の念仏も、そして蓮空や安楽芳の念仏もここに集まるすべての人びとの念仏も、すべてみ仏のご縁によってうまれる念仏じゃ。

阿弥陀如来からたまわった念仏であることに変わりはない。

そう思えば、この法然房の念仏も、そなたたちの念仏も、まったく同じ念仏であろう。
範宴とやら、よう答えた。
きょうからそなたを、この法然の仲間の一人として吉水に迎えよう。よいか」

いま自分は、はじめて本当の師とめぐりあったのだ、と範宴は思った。


                       (新聞25誌 連載小説)


これより範宴は「綽空」(しゃっくう)との名のりを法然より頂きました。
道綽源空法然)から1字ずつの尊い名のりでした。


道綽  中国、隋唐代の僧。
 称名すること日に七万遍、観経の講義は計二〇〇回に及んだと伝える。



阿弥陀如来からたまわった念仏であることに変わりはない」    親鸞