親鸞・仏教

犬麻呂と綽空 (十二)

犬麻呂と綽空 (十二) 親鸞226 五木寛之 「真実の教えというものは、つねに危ういものだ。 しかし、危うさをもたぬ安全な教えに甘んずるのなら、 法然上人も比叡山をおりられなかっただろう。 そして、法然上人の真の新しさとは、古い仏典をこえて、 十悪五…

犬麻呂と綽空  (十一)

犬麻呂と綽空 (十一) 親鸞 225 五木寛之「サヨ、とよばれて、はい?とふりかえる、その返事が南無阿弥陀仏だとおっしゃるのでしょう?仏さまによびかけられてする返事だから、仏よりいただいた念仏、というのですね」「それが、他力の念仏だ。 自力の念仏…

犬麻呂と綽空 (八)

犬麻呂と綽空 (八) 親鸞 222 五木寛之「どうもヤバイことになりそうな気配がします。お気ずきですか」 犬麻呂は声をひそめて、 「念仏一筋、専修念仏、その他の信心や修行は一切無用という法然さまの教えが、 怒りと疑心をひきおこしたとしても、不思議は…

犬麻呂と綽空(七) 

郁代のお墓をぐるっと囲んで「ドウダン(満点星)つつじ」が植えてあります。 白いかわいい花が満開です。さわやかな風が吹いていました。 犬麻呂と綽空(七) 親鸞 221 五木寛之「いまのサヨどのの言葉、骨身に徹しておききしました。 法然上人の門弟にくわ…

犬麻呂と綽空 (五) 

1歳を過ぎたみくちゃんの「ことば」が増えていくのが楽しみです。 「ママ」「パパ」に始まりわが家の犬も大好きで、「ワンワン」とさかんに指差したりさわったり。最近は、「ドウジョ!」「ドウジョ!」(どうぞ!)といって、何でも渡してくれます。 おかた…

法然上人の目 (十)

法然上人の目 (十) 親鸞 208 五木寛之 「わたしは日々つねに念仏を口にとなえて暮らしておる。 その法然の念仏と、そなたがとなえる念仏とは、 はたしてちがうところがあるであろうか。 それとも同じ念仏として、変わるところがないのか。どうじゃ」範宴は…

法然上人の目 (八)

法然上人の目 (八) 親鸞 206 五木寛之 法然は言葉を続けた。「わたしが叡山をはなれて別所の聖(ひじり)となったのも、ただ法門での出世栄達をすてて、遁世(とんせい)したわけではない。 そのころはのう、隠遁し、聖となることもまた、人びとに敬われる…

法然上人の目(七)

法然上人の目(七) 親鸞205 五木寛之 「わたしはたしかに、ただ一度の念仏ですくわれるというておる。しかし、わたし自身は一日に何万回か絶えず念仏をもうしておるのじゃ。そのことを、どう思う」「それは、法然上人さまの心に、大きな迷いがあるからで…

あの声は・・・

今日の新聞、「親鸞」(五木寛之)よりあの声は・・・當麻御前の今様 おやをおもわば ゆうひをおもえおやはゆうひの まんなかににしのそらみて なむあみだぶつみだはゆうひの そのさきに 私も、いつも夕日を想っています。 いつも月を眺めています。そこが郁…

新聞連載「親鸞」

今日の「親鸞」(五木寛之・作)より ほとけはつねに いませども うつつならぬぞ あわれなる ひとのおとせぬ あかつきに ほのかにゆめに みえたもう “ほとけはつねに いませども”とは 「なにがあっても だいじょうぶ」 ってことなんだろうか。だれもがいっぱ…