「おくりびと」こぼれ話 

本木雅弘さんが出会ったのは、1993年発行の「納棺夫日記」でした。
その頃評判高かったので、私も読みました。(写真)

表紙には交流のあった吉村昭氏の序文が、
裏表紙には、
「『信』不在の現代に警鐘を打つ、現代版『歎異抄』であるといっても言過ぎではない」(出版者)。


青木新門さんがあとがきにこう書かれていました(抜粋)。

 途中で投げ出そうかと何度も思ったが、私自身が己の死に対して、どのように対処するのか納得できればそれでいいと思ったら、気が楽になった。

この原稿を書き終えた時、正岡子規の『病床六尺』にある
『悟りという事は、如何なる場合にも、平気で死ねることかと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合でも、平気で生きて居ることであった』
という言葉が実感として分かるようになった。

一瞬一瞬を大切に生きて行こうと思った。


     
             1993年版



以下、最近の新聞コラムからお借りしました。
 
 「おくりびと」こぼれ話 
           中能登町  明泉寺住職  桜井瑞彦(ずいげん)
 
 納棺の記録がこれだけ大きく化けることになるとは思わなかった。
関係者は一様にそう思っているだろう。
体験したことを表現した、低力のようなものを感ずる。
大化けしたのは、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したからである。
「化け」の始まりは、俳優の本木雅弘さんが「納棺夫日記」を読んで共感したことによる。
「化け」の本体は、かって葬儀社につとめていた青木新門さんの書いた「納棺夫日記」である。
 今から十六年前も前のことだった。
 私の家にやってきた青木さんに「実はこういう原稿を書いたので、目をとおしてもらえないでしょうか。なかでも、宗教表現を重点的にお願いします」と、依頼された。
 簡潔で歯切れのいい文体であった。
「納棺」のほうは詩心のはいった体験談、そして親鸞に傾倒しつつ宗教思索という、冬の北国の情景をベースに凛とした内容だった。
      「蛆虫も生命と思ったそのときから、蛆たちが光って見えた」

体験した心の転回をみごとに表現している。
それからは、浄土とは光の世界、如来とは光そのものと受け止められるまでになったという。

そういえば、DVD「おくりびと」を投影して見ると、暗い場面が多かった。
それは大画面にすると、光源が弱いからだとわかった。
 そうか、世の中がとげとげしい言動が多くなり、人心が暗いのは、智慧という仏の光を弱くして受け止めているからなのだ。

                         (4月4日北國新聞