正岡子規『仰臥漫録』
この原稿を書き終えた時、正岡子規の『病床六尺』にある
『悟りという事は、如何なる場合にも、平気で死ねることかと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合でも、平気で生きて居ることであった』
という言葉が実感として分かるようになった。
を、11日のブログに書いたところです。
早坂暁氏が最近、
新聞で同じようなことを書いていられたのが心に残りました。
眼からウロコ 早坂暁(作家)
正岡子規さんの病床日記 『仰臥漫録』 ほど、私の眼から見事にウロコを剥ぎとってくれた本はない。
“ウロコ”とは何か。
私と同じ余命1年半と宣告された癌患者・中江兆民さんが書いた覚悟の書、
『1年有半』『続1年有半』である。
私は『1年有半』を杖がわりにして、わが“死”に対決し、突破しようとする算段だったが、郷里の大先輩である子規さんによって斬って捨てられた。
子規さんの病は脊椎カリエス。
その『仰臥漫録』にこう書く。
「『1年有半』は浅薄なことを書き並べたり、死に瀕したる人の著なればとて新聞にてほめちぎりしたため忽ち際物として流行し六版七版に及ぶ」
さらに正岡子規さんは言う。
「(兆民)居士は咽喉に穴一ツあき候由、われらは腹、背中、臀ともいわず蜂の巣の如く穴あき申し候。1年有半の期限も大概は似より候」
として、子規さんは「居士は理は分かるが美はわからない」と書く。
つまり自然や文化の美に感動する力がないというのだ。
子規さんは、この時35歳。
日録は、まるで人体解剖のように、食事、治療、排泄から始まり、弟子たちとの対話、笑い、怒号、悲鳴、号泣が飛び交い、その間を草花のスケッチと、花におとらぬ俳句があふれるという究極の魂の記録である。
死の床にある人、この書で眼からウロコを落とし、活力をもらうといい。
で、日本の画家にお願いがある。
お釈迦さまの涅槃図ならぬ子規さんの臨終図を、ぜひ描いてほしい。
釈迦さんのように大勢の弟子に囲まれ、俳句の花や草花に飾られ、神の手を持つ妹に手を清められ、母の悲しい涙で“少年”として死んでいった子規さんの涅槃図は、きっとお釈迦さまのソレにも負けないだろう。
こんな日録は稀有である。
朝日新聞 「大切な本」 3月22日