「大浦先生」

子どもの頃から、郁代の周りにはいつも人がいました。
自然や動物が大好きだった郁代が大学で選んだのは教育学部で、
教育実習の時の生徒の作文が残されていました。

     
   大浦先生ありがとう     三年五組   橋元かよこ(仮名)

大浦先生、いつもわたしたちのそばにいてくれてありがとう。
大浦先生はとても明るい先生です。ずっと良い先生でいてね。
大浦先生がいなくなるととてもさみしいです。
いろんなことがあったけど、みんな大浦先生が大好きです。
先生はチャイムがなってもじゅぎょうを続けて休み時間がなくなるけど、
わたしは、そんな先生が大好きです。
大浦先生は、びじんで、おひとよしで、かわいいから、
きっともてるとわたしは思う。
わたしも大浦先生みたいな人になりたいなと思います。
ときどき手紙を下さい。
わたしは大浦先生を一生わすれません。
わすれたくありません。
だってこんな良い人はいません。
だから大浦先生もわたしたちのことを、いっしょうわすれないでくださいね。


    大浦いくよ先生へ     三年五組    村口じゅん(仮名)

大浦先生が初めてわたしたちの教室に来た時、
私はやさしそうな先生だなあと思いました。
あってから何日かすぎてわたしは、給食の時間、
「大浦先生、もうみんなの名前おぼえた?」と聞きました。
大浦先生は、「もう、ほとんどおぼえたよ」と言いました。
わたしは、「じゃあ、わたしの名前は何でしょう?」と聞きました。
大浦先生は、「村口じゅんちゃんだよ」と言いました。
「ピンポーン。大正解だよー」とわたしは言いました。
おぼえていてくれたので、とてもうれしかったです。
ドッチボールなどで遊んで楽しかったけど、もうお別れですね。
短い間だったけど、本当にありがとうございました。
さようなら。りっぱな先生になってね。       



世の中は少子化が進み、教員採用は冬の時代に入っていたこともあり、
在学中、外国に目覚めた郁代は、
その後教師の道へ進むことはありませんでした。


その時の受け持ち児童に囲まれた、笑顔の「大浦先生」が写真に残っています。
一度でも、「大浦先生」になれてよかったね。
先生の道に進んでも、とても似合っていたでしょう。
こどもに好かれる先生になっていただろうなあ。きっと。