「ありがた〜いことがわかった」

いつも読ませて頂く方のブログにあった言葉です。

「私たちは生かされていたんだということに、
一度死を目の前にすると気がつくんだね。
だって、癌になって、どんどん動かそうにも、手も足も動かないんだよ。
動かしてもらっていた、生かしてもらっていたと気がつくよね」


20年も前になりますが、
義父(90才)は老衰のため自宅で寝たきりになりました。

仏書を読むのが好きでした。
家中から集めた本を持ち込み、寝室の四方の壁は本で埋まっていました。

あるとき、私を呼んでこういいました。
「ありがた〜いことがわかったがや」。

「どんな凄いことがわかったんだろう」とそばへいくと、
こういいました。

「自分が“だちか〜ん者”(無力な者)やと分かった。

そのことがありがたいのや」。

「自分はこれまで生かされてきたのだ、
凡夫(ぼんぶ)の自分に気づかされた。
それがわかって、うれしくてたまらないのだ」
とわたしには聞こえました。

そう言った時の義父の顔が、
笑顔で輝いていたことを、私は忘れません。

いつも仏書を開いたまま、うつらうつら眠っていました。
どこも痛いところはなく、老衰で動けなくなったのでした。

かかりつけのお医者さんも、
「自然のままが一番」といい、注射も何もしませんでした。
日頃の義父の“薬嫌い”“医者嫌い”をよく知っていたからです。

自然のままに、大木が枯れるように往きました。

義父の言った「有り難い」を、
「賜った信心」というのかなあと、最近になって思うのです。

あの時義父が輝いていたのは、
仏を讃える喜びに満ちていたからなのだなあと気がつくのでした。