愛されて オーストラリア     



あなたにあえてよかった」表紙に使った写真です。

郁代の遺したアルバム「オーストラリア編」から選びました。

改めて写真の日付を見ると1997年7月となっていてびっくりしました。


郁代は日本で3年間旅行会社に勤務した後、
ワーキングホリディでオーストラリアに渡りました



約束の一年が近づく頃に届いた手紙が、
1997年7月のことだったと気がついたからです。


お父さん お母さんへ 


お手紙受け取りました。
どんなに離れていても、
母親は子供の考えていることが分かってしまうのね…。

この前電話をもらった時はドキリとしました。
ちょうどオーストラリアに残るための対策を練っていたからです。

結論からいうと、
私はオーストラリア滞在を延長することを希望しています。
    
 理由の一つは、この国での生活が大変自分にあっていること。
気候や環境の良さは勿論のこと、
まわりの人々、仕事にも恵まれ、
毎日自分らしく前向きで、元気でいられること。

もう一つの理由は、自分が今ここで必要とされていること。

会社としてもようやく仕事を覚えた私に、
仕事を続けてほしいということで、
ビジネスビザのスポンサーになってくれるとの申し出がありました。

このビザは条件が厳しく、取得が年々難しくなっており、
取れるかわかりませんが、
もし取得できたら、しばらくオーストラリアに残ります。


「一年で帰る」約束を破ることになるかも知れないけど、
自分で決断してやったことなら失敗しても後悔しないでしょう。


今の会社はオーストラリア国内で従業員千人以上の大きな会社。
上司もとても信頼の出来る人なので特に不安材料はありません。
仕事はだんだん責任が重くなってきているけど、
それだけやりがいはあるし、自信もつきます。


了解してもらえたら嬉しいです。
私はあいかわらず元気満々だよ!    
                1997年7月29日   郁代
 
 
追って十一月には弾むような手紙がきました。


月曜日、ビッグニュースがありました!
そうです。私のビザが取れたのです。
確実性は高いとは言われていたんだけど、
取れるまではやっぱり落ち着かなくて…。
今、ようやくほっとしました。(中略)

ビザが取れたので、私は正社員になり条件も随分よくなりました。
というわけで私はこちらでますます元気に、
そしてハッピーにやっていますのでご安心ください。
               1997年11月18日  郁代



「お別れの旅」では、オーストラリアで30人ほどの方と、お会いしたのでした。



       オフィスからシドニー湾の眺め   郁代撮影


オーストラリアでは、毎日がハッピーだったのですね。