誇らしい自分

メールではなく、郁代からの手紙が残っています。


今日、実は保険の資格を取った人の終了証書授与式みたいのがあったの。
保険協会の人から証書を受け取った時は、
自分でも誇らしくて、
「家族にこの場面を見てもらいたかったなあ」と思ったの。

英語で勉強して資格を取るのは生易しくはなかったけど、
試験前の集中力とか、がんばり屋のところは、
きっとお母さんゆずりだろうね。ありがとう。
    

最近仕事でもやりがいのあることをやらせてもらったり、
営業成績を褒められたり自分自身にも自信がついてきました。
    

でも、オーストラリア生活の中でも、
これまで落ち込むことや悲しい事もあったの。

そんな時にいつも心の支えになっていたのが、
「お母さんは100パーセント、私の見方だもんね!」
という気持ちでした。
   

日本でもこちらでも本当に良い友達に恵まれ、
いつも支えられているけど、
世界で私のことを一番に考えてくれているお母さんの存在があったからこそ、
がんばれたし元気になれたりしたんだよ。


実際、悩んだ時なんかは、お母さんが送ってくれた手紙とか、
「心に残った言葉、文章」とかを繰り返し読んでたよ。


私ももう三十一歳で、いわゆる適齢期をとうに過ぎて、
そういう意味では心配の種かも知れないけど、
私自身は少し惑いが無くなって、
多少のことに動じない今の自分を〝いい感じ〟だと思っています。


でも、自分をそういう風に思える私にしてくれたのは、
私を信頼して神戸や海外に出してくれたお母さん、
いつも私のことを考えて応援してくれたお母さんのお陰だと思っています。


遠くにいて、お母さんを手伝うことは出来ないけれど、
私がこっちでがんばること、
健康で過ごすことがお母さんが喜んでくれることと思っています。
また、電話するね。               郁代

                           2002年7月1日

病魔に襲われる1年半前、
たった一度、
それも家族にだけ、
郁代は自分を褒めていたのでした。


いまやっとこの時の郁代の手紙が、
エディさんのメール内容とつながったと思いました。

                       自分が選んだ道だから3