量が多すぎるから

「おとうさん、おかあさんの子どもに生まれて、しあわせだったよ」
「おとうさん、おかあさんの子どもに生まれてくれて、ありがとう」
郁代の発する言葉のひとつ一つが、重く感じられて、
私はなにも言えませんでした。


この頃、シドニーからひろみさんが来てくださいました。
近くの友人には茶菓を、
県外、海外からの友人には昼食の接待を郁代は私に頼みました。
水も飲めない郁代の前に食事を用意するのは、
身を切られるほど辛いことでしたが、
それは郁代のたった一つの願い事なのでした。


ひろみさんにしては、しばらくぶりの郁代の変わり果てた姿は、
どれほどの衝撃だったでしょう。
郁代の前では辛くてどうしても食べれなかったのに、
むりやり食べようとして、
それでも、この日ピラフを少し残されました。


郁代は、
「おかあさんが作る物は、量が多すぎるから…」
「ひろみさんは、少食なんだよ」と言いました。
そんなこと、お母さんは知らないもの・・・。


その時は言葉の意味がわからなかったのですが、
後で、気がつきました。


母を非難したのではなく、
一生懸命ひろみさんをかばっての言葉だったのです。



親友として、お互いが精一杯のいたわりを示しあったのでした。